物語の力

教育

 今日、堀江貴文さんの東京大学での講演の動画を見た。堀江さんが仰っていたのだけれど、起業するにしてもなんにしても、若いころのほうが有利だと。何故なら年を取るとその情熱はあっても体力が続かないからだと。体力ばっかりは若いころのほうが間違いなくあると。そして、気力は体力がないと保てないと・・・。おっしゃる通りだ。私もつい先日、岩本ナオ先生のマンガ『金の国 水の国』と『マロニエ王国の七人の騎士①~⑧』を借りて来た。一気に読んでしまおうと思っていたのだが、『金の国 水の国』を読んだ時点で疲れてしまった。これが若いころだったら一息に読めたのだけれど、さすがに、コミックを9巻一気に読むのには情熱はあっても気力・集中力が続かない。昔だったら一気に読破していたのに・・・。

 この論を突き詰めれば、インプットをするのは人生の前半でアウトプットするのが人生の後半だと言えなくもない。私自身、もう新しい何かをインプットするのはむつかしい。なかなか昔のようにはいかない。これはもしかすると表現者とかクリエイターとか言われる人たちにとっても共通の悩みなのかもしれない。少し品のない表現だが、食べたものを自分なりに咀嚼して、内部で発酵させて吐き出す。自分はもう、おなか一杯食べただろうか?時期的には発酵させ吐き出す段階にきているのだが・・・。

 それらのことを考慮に入れてみると、やはりピカソは偉大だ。彼の残した作品は1万6千点ほど。対して普通の画家が生涯に残す作品数はせいぜい数百点だ。同業者の画風を剽窃しておいて、いつの間にかそれがピカソの作風であるかのように我々が錯覚している作品。それらを含めたとしても、彼が如何に創作に対して貪欲だったかがわかる。ありとあらゆる作風を自分のものとして取り込んでしまおうという意欲が感じられる。しかもそれが生涯を通してだ。ちょっと舌を巻かざるを得ない。ただ私人としての彼は、私の知る限りではちょっと友達にはなりたくない、そんな存在だ。天才とは押しなべてそういうものかもしれない。

 話は戻るが、堀江さんのお話を聞いていると、起業して失敗しても、やり直せる社会的な枠組みは、彼が起業したころに比べて格段に整ってきているそうだ。その割にはやはり起業する人は少ない・・・。若さと、つまり気力と体力とが充実していて、あと足りないのは情熱なのでは?と私などは思う。では、情熱ってどっから来るのか?そう考えた時、答えは、やはり“感動”なのではないか?感動は物事を進める原動力だ。では、感動ってどこに転がってんの?と言う話になるのだが、それはやはり“ものがたり”なのではないか?と私は思う。今、必要なのは“ものがたり”の力なのかもしれないな。と思った。そんなわけで私は今日も“ものがたり”を求めて近所のTSUTAYAへと足を向ける。私にもいつか読んだ人に“感動”を与える“ものがたり”が書けたらいいなと思うのだが、どうも私の文章は“感動”と言うより“扇動”に近いらしい。やれやれ(笑)

 『金の国 水の国』面白かったです。主人公の女性はとても心の清らかな人でした。岩本先生のお人柄でしょうか?素敵な物語を有難うございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました