どう言うわけか昨晩も夢の中で『キン肉マン Go Fight』のサビの部分「あ~心に愛が無ければスーパーヒーローじゃないのさ! キン肉マンGo Fight」と言う歌詞がメロディーに乗って流れてくる。それも何度も。私が歌っているというよりは頭の中を流れてくるといった感じでなかなか鳴りやまない。やはり人の意識は氷山のように水面下で繋がっているのだろうか?そして誰かが私にこの歌を歌う事で何かを訴えかけているのだろうか?人の脳と共有意識との仕組み・メカニズムがどうなっているのか?興味が尽きない。まあ何にしても、私はスーパーヒーローなんて柄ではないし、全くのお門違いではある。
「あ~心に愛が無ければスーパーヒーローじゃないのさ♪」
やれやれ。
さて、話は移ってコミュニケーション能力と言う言葉を昨今よく耳にする。コミュニケーション能力と言うのだから、他者とコミュニケイトする能力なのだろうが・・・何だか正直うさん臭い言葉である。よく、しょうもない女性向けマンガなどを読んでいると「コミュ力高!」とか言うセリフが出てくる。正直うさん臭くて読むのをやめたくなる。たいていのマンガではそのコミュ力高い男性キャラが仕事の出来るイケメンとして描かれているのだが・・・。こいつがどうもうさん臭い。能力と言うのだから、そりゃ低いよりは高い方がいいのだろうが、なんかうさんくせーなあ・・・。と思っていたらこんな記事を見つけた。
コミュニケーション能力が
高い人がいい人とは
限らない。
もちろん、高いに越したことはないけど、
人間の良し悪しとはまた別問題。
一番危険なのは悪意をコミュニケーション能力で
カバーしちゃう人だ。
見分け方は、言葉ではなく、
行動で判断することだと思う。
出典は忘れてしまったので明らかに出来ないのだが、胸につかえていたものがストンっと落ちた感じだ。私の知っているいわゆるコミュ力の高い人とは、とにかく誰にでも愛想がいい。愛想がいいならそれでいいのだが、無論それだけはない。仲の良くないAさんとBさんがいると、Aさんの前ではBさんの事をあしざまに貶すし、今度はBさんの前ではAさんの事をこき下ろす。それでいて自分決して傷つくことはないよう絶妙の距離をとる。この人はまさしく先の出典の例のような《カバーしちゃう》タイプだ。と、そんなことを考えていたら、そもそもな話に気が付いた。これっていわゆる《巧言令色鮮し仁》ではないかと。あ~中国って国の歴史と文化はたいしたものだな。と思わずうなずいてしまった。2000年以上昔にすでにしてこのようなタイプの人間に対して警告を発していたのだ。孔子ってたいした人だったのだ。
さて、話は戻る。キン肉マンの話だ。「あ~心に愛が無ければスーパーヒーローじゃないのさ♪」私がこのアニメを見ていたのは確か小学1年生の頃の話。この歌詞に出てくる《愛》とやらを幼少の私がどう理解していたか?今となっては知る由もない。まあ、とにかく、孔子の言うところの《巧言令色》で無い事を祈るばかりだ・・・。もっとも私を含めて幼児や大衆は《わかりやすいもの》が大好きだ。私自身、勇気とか愛とか友情とか言った言葉にグッと来て 『キン肉マン消しゴム』こと《金ケシ》を集めてしまったくちだ。今にして思えばまさに《巧言》以外の何物でもない。幼し日の自分が恥ずかしくなるのはこういう時だ(冷汗)。ああ、もう少しましなお金の使い方をするべきだった。《金ケシ》に費やしたお金はその当時としては結構な額だった(泣)
何が言いたいかと言うと、ゆでたまご先生ごめんなさい。と、それ以外に言葉が見つからない。でも、まあ、今になって改めて読もうと(『キン肉マン二世』も含めて)思う気にはならないマンガである事も事実です。ゆでたまご先生本当にごめんなさい。
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