宇宙もしくはたわしコロッケ

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 私はかねてから宇宙に行ってみたいと思っていたのだが、その理由の一端は次のフレーズにある。

「宇宙は我々を受容しなければ、拒絶もしない。ただただ無視するだけである。」
 

 しびれるフレーズだが何のことはない。要は、宇宙は我々を「ほっといてくれる」のだ。そう、私はほっとかれるのが好きだ。もしくは干渉されるのが嫌いなのか・・・。
 

 このことを別の角度から光を当ててみたのが「たわしコロッケ」だ。もうずいぶん前の話だが、いわゆる昼ドラに『真珠夫人』(菊池寛 原作)があった。その名(迷)場面である女性が自分の夫のお皿の上にたわしを載せて出すという場面がある。それを見て私はげんなりしてしまった。夫の事が嫌いなら、関係を切ればいい。つまり無視すればよい。どうして、お皿にたわしを載せて出したりするのか。歪んだ、病的なコミュニケーションだ。そもそもこの女性は夫の事を愛しているのか?それとも憎んでいるのか?おそらくその両方なのだろう。この複雑に入り組んだ厄介な感情は、こういっては失礼かもしれないし、ひょっとしたら差別的かもしれないが、主に女性に、しかも感情過多な女性に多く見受けられる。正直この手の女性が私は苦手だ。

 女子高教師時代にもこの手の生徒はいた。彼女たちの厄介なところはその感情豊かな故のわがままさにある。彼女たち自身は気づいていないと思われるが、教師である私が自分たちの相手をしてくれる分にはいいが、ひとたび私が他の学校の採用試験を受けようものなら、徹底的に私の存在を貶める。その姿はまるで自分の手に入らない玩具はむしろ壊してしまおうとする幼児の様だった。そこには占有欲やら、プライドやら、劣等感やら、嫉妬心やら様々な感情がないまぜになっていて、女ってこえーなと思わせるに十分すぎるほどだった。この子たちもある程度年齢を重ねて大人になれば変わるのかなと当時は思っていたが、どうもそういうものでもないらしい。日々それを実感する。
 

 さてここまで書いてきて、この文章はしいて言うならエッセイになるのだが、エッセイであるからには以下の3点ができていないとまずいらしい。

①個人的な体験が題材であること
②その体験を通して気づいたことを描くこと
③その気づきが社会とどう関わっているか、普遍的な意味合いを見出そうと努め、まとめること

①②は良いとして問題は③だ。この文章から導き出される普遍的な意味合いとは何か?それは「女とは厄介な生き物だ」という事?もしくは「女って怖い」という事?いや、そうではない。かの椎名林檎さんも述べている。「女性って感情的な生き物でしょう。」と。そう彼女たちは感情的な存在だ。椎名林檎さんが言うのだからそれを肯定しないわけにはいかない。ただそれは私とは遠くかけ離れた場所で行われて欲しい。間違ってもその感情の渦に巻き込まれるのはごめんだ。つまり何が言いたいかというと
Leave  me alone
という事。そんだけ!

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