先月の半ばからずっと続けて来た簿記の勉強を今日すっぱりとやめることにした。のみならず5/31(金)に予定していた試験のほうもキャンセルした。延期はしない。あまりにも苦痛だからだ。数学や現代国語の問題を解いている方が面白い。ついでに言うならこのエッセイ?らしき文章を綴っている方がはるかに面白い。
こうしてみると自分は考える事、そして考えた事を表現するのが好きなのだと改めて実感する。逆に簿記の勉強は、考えるというよりは機械的に処理する作業の繰り返しだ。(私にとって)つまらないわけである。テキスト代と試験の代金を合わせて1万円弱が消えた。これを無駄な出費とみるか、良い勉強になったと見るかは今後にかかっている。未来のありようで過去の解釈は変わるのだ。代わりにと言っては何だが、( 『マンガでやさしくわかる決算書』岩谷誠治著 )をメルカリで購入した。622円である。
それにしても、以前の自分なら岩にしがみついてでも試験日まで勉強を続け、試験を受けていただろうなと思う。自分で言うのもなんだが、以前の私は【失敗を恐れる生き方】をしていた。それが何時からか「他人に何と言われようが構うものか!つまらん物はつまらん!それよか時間がもったいない!」と思えるようになった。これは大きな進歩と言うべきだろう。いったい何時からかな?と考えたら、やはり統合失調症を患ってからだと気づいた。
何でも親父に病院に連れていかれるとき
「精神病院なんかに行ったら俺のキャリアに傷がつく!」
(病院関係者の皆さんごめんなさい。大変お世話になりましたm(__)m)
とわめいたそうだから、そうなのだろう(笑)。≪そうだから≫と言うのはそのころの記憶は今ではあやふやだからだ。
精神病院に入院したことは今にして思えばいい経験になった。精神を患おうが、人は回復するし、人生は続く。転んだらその事実を受け入れて、立ち上がってまた歩き出せばよいのだ。
それまでの私が【失敗を恐れていた】のは、つまりは人の目を気にしていたのだろう。世間体って奴だ。作られた枠組みの中で、努力して良い結果を出し、周囲から褒められる。世間体ってまあそういう事だ。これを保守ともいう。そんな事に囚われていたかと思うと・・・なんとちっぽけな人間だった事か私は。このことに40代で気づいたのは若干遅かった。10代のうちに気づいていれば、もっと有意義な人生を送れていただろう。もっともうちの母などは70代になってもその事に気づかない。もしくは気づけない。その事を皮肉って、妹と母を指して
「あなたたちは保守友だね。」
と言うと
「ウルサイ!」
と怒られた。
まあ、なんでもよいが、自分の人生の枠組みは自分で作り出すものだ。その過程でトライ&エラーは、つまり躓いたり転んだりするのは当然の事なのだ。それが致命傷になるのでなければ失敗を恐れる必要なんてかけらもない。作られたレールの上を、染み込まされた価値観に従ってなぞる事のなんとむなしい事か!
そんなわけで、この文章を読んでくれている全ての若人に、そして以前若人だった全ての人に告ぐ
「失敗を恐れるな!」
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