公務で

人生に対する姿勢

「公務で人殺しをやるところまで、まだ、おれたちは墜ちちゃいませんよ。」
(『銀河英雄伝説外伝3』田中芳樹より)
 十代の頃、むさぼるように読んだ『銀河英雄伝説』の外伝3の一節だ。他にも
「なるほど、言論の自由は思想の自由よりテリトリーが狭いというわけですか。自由惑星同盟の自由とは、どちらに由来するのですかな。」(同じく『銀河英雄伝説』より)等々この小説を十代のころ読んでおいて、本当によかった。私の血肉となっている。
 

 さて、私の文章を継続して読んでくださっている方々はご承知と思うが、私は決して頭が良い方ではない。むしろその逆だ。ただ頭が悪いなりに自分の頭で考えて文章を書いてきたという自負はある。言葉の裏を返せば「この人、頭はいいのに自分の頭で考えてないな」という人に出会う事があるのも事実だ。では、頭の良くない私がどうして自分の頭で物事を考えられるのか?答えは簡単だ「自分に自信を持っているからだ」言い換えれば「自分が好きだからだ。」

 勘違いしてもらっては困るが私は決してナルシストではない。いや、ちょっとだけナルシストかも。まあそれはいい。では、自分を好きってどういうことなのか?その解りやすい例がこの文章の冒頭の「公務で人殺しをやるところまで、まだ、おれたちは墜ちちゃいませんよ。」にある。(このセリフまでの文脈を知りたい方は是非本書を読んでみてください。)無論、私が人殺しをするわけではない。言い換えるなら「公務や損得で人を好き嫌いになるところまで、まだ、俺は墜ちちゃいませんよ。」と言ったところか。

 話は移るが、もう10年以上昔、ベトナムに旅行した際、ホテルから25キロほど離れた農村部で一人っきりになりたくてガイドと友人を乗せた車から降りたことがある。異国の地で一人きりになった私は近くの農村を歩き回ってバイクのある家を探し、そこで見つけた暇そうな青年に「こんだけお金やるからバイクで○○ホテルまで乗せてってくれ。」とベトナム語で頼んだ。その青年は気持ちよくバイクの後ろにのっけてホテルまで無事とどけてくれた。お礼を言って当初の金額より多めに渡そうとするとその青年は「俺はあんたとこの金額で送り届けてやると約束したんだ。だからこれだけでいい。」と言って約束の金額しか受け取らなかった。「おーベトナムの人って誇りたけーんだな。さすが!」と感心したのを覚えている。大切なのはここだ。そのベトナム人の青年はどう見てもビンボーそうななりをしていて、前歯は抜けていたが、少なくとも自分の事が好きだったはずだ。自分に自信を持っていたはずだ。というか、そういう小さなことの積み重ねが自分に自分を好きでいさせるのだ。と思う。よきオノコであった。

 私もこのベトナム人の青年と同じだ。日々の小さなつまらないことの積み重ねが自分を好きでいさせるのだと思う。そしてそれが自信につながっていくのだと。何も美しく生きろとか、清貧を尊べとかいうのではない。ただ私が自分自身を好きなように、自分自身を好きな人、自分自身に誇りを持っている人と仲良くなりたいと思うのは確かだ。一方で、同じく田中芳樹先生の『タイタニア』にこうある。

「たとえ500年の長寿をえても、この男と知己になることはありえない。その事実を、ファン・ヒューリックは悟っていた。首輪をつけられ、鎖につながれることを喜ぶ手合いと、彼は絶対に仲良くなれなかった。その気質が、結局のところ彼の人生を左右し歴史に影響を与えることになった。」

 そうなのだ。誰とでも仲良くなるというのは、裏返せばだれとも仲良くない事とニアリーイコールだ。でもそれでいいと思う。味方になってくれるのはいつだって少数だ。その小数が自分の宝物だと思う。
 さて、この文章をお読みになった皆さんは自分のこと好きですか?純金積み立てではないですが自分を好きになるのもコツコツですよ◎

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