頑張れ日本の女性!!!

仕事

 先ほど、NHKで埼玉県の高校を共学化すべきか否か?という番組を放送していた。番組中で、共学化に賛成する側の理由として「男女の平等が叫ばれる昨今、別学は時代の要請にそぐわないのではないか?」という意見が紹介されていた。その文脈上で、2010年に共学化された宮城県の仙台第1高等学校の例が紹介されていた。共学化の後、仙台1高に進学した女生徒が感じたのは「仙台1高の中心部は男子生徒に占められている。」という違和感だった。1例として応援団への入団は男子生徒のみに許されている事実があげられていた。

 そこまで見ていた私は「そりゃ厳しいようだけど、そうなんだよな。権利は与えられるものじゃなくて、勝ち取るものなんだ。俺だって偉そうな事言えないけれど・・・。」と、思わず口に出してしまった。そうなのだ、歴史的に見ても権利とは与えられるものではなく勝ち取るものなのだ。われわれ日本人が人権や個人といった概念に疎いのも、結局はそれらを勝ち取ったのではなく、上から与えられたからではないか?自分自身のことを含めてそう思った。

 女性の皆さんには本当に申し訳ないが、会社の役員の人数を3割は女性にするべきとか、ちゃんちゃらおかしい話だと私は思っている。もしそれが会社の、ひいては社会にとって有益であるならおのずと女性の社会進出は進むのではないか?1人間として選べばよい。男も女もない。では男性も女性も変わりはないのか?

 これは私個人の経験から滲み出た意見だが、はっきり言って私が今まで仕事を共にして来た女性と男性を比べると、圧倒的に女性のほうが【社会人】としては、言い方は悪いが、申し訳ないとは思うが、劣る。

その理由として以下があげられる。

  • 感情>理性
  • 私>公
  • 群れるが故の陰口

これら3点は、私に言わせれば、“群れる”が故の女性らしさと言う事になる。個体として頑強さで男性に劣る女性が身を守るには群れる必要があった。であれば、群れから弾かれることを恐れる。ゆえに、群れが丸く収まることを優先する。そこには論理的な善悪などない。いわゆる情緒・感情のほうが大事だ。おおやけの理念などない。私的感情のほうが大事だ。つまり、女性は男性よりも“仕事”には向かない。これが私の経験則だ。

 ただ、我々男性だって、もう少し大きな視野でみれば大陸の人間に比して、より群れて生きてきたといえる。その意味では、我々日本人とは大陸に比べ、より“女性的な民族”なのだと思う。だから男性が女性を悪く言うのは結局、巡り巡って自分たちを批判しているにすぎない。と私などは感じている。

 何はともあれ、少なくとも今まで私が見てきた日本人女性はおおむね、こうだった。もしかすると、日本人女性にも、もっとずっと理知的で、公と私の区別ができて、陰口なんかめったに言わない“できる”女性がいるのかもしれない。単に私の女運が悪かっただけかもしれない。

 などと考えながらそのNHK の番組の続きを見ていたら、なんと、仙台1高に入学して不条理を感じていた女子生徒。自ら応援団と直談判を重ねて、ついには仙台1高初の女性団長になったとのこと。私は正直ぶったまげた。ついでになんだか目頭が熱くなってしまった。

「ああ、時代は変わりつつあるのかもしれない。よく頑張ったなぁ。」

 こう言う女性がもっともっと増えていけば、きっと世の中はより良くなる。私のような社会不適合者は家で好きな文章でも書いて、できるパートナーに外で存分に自己実現(稼いでもらう)してもらう。そんな世の中がもしかすると近づいてきているのかもしれない。

手のひら返すようで、身もふたもないが、日本の女性の皆さん、頑張って。応援しています!!!

ではまた!

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