先日、東北に住む友人から鋭い指摘を受けた。曰く「長谷川の文章、若干マンネリ化しているぞ。」と。私がこのブログを始めた当初からずっと読んでくれている、私にとって頭の上がらない、大切な、大切な読者だ。仙台にいる頃、散々語り合った仲でもある。
その彼の一言は重い。実際、私自身そういう思いが無いでもなかった。「そうか、ついに俺も出涸らしか?」ブログを綴り始めてもうすぐ10年。いつかこんな風に感じる時が来るのでは、とは思っていたが・・・早かったとみるべきか?結構もったとみるべきか?
そもそもこのブログは私にとって何か“発見”があった時、それを誰かと共有したいという思いから始まっている。書き始めた当初は、それまでの人生で私が感じたこと考えたことを率直に述べてきた。だんだんに誰かとの会話や、日々の些細な出来事の中で、自分が発見した事を共有する形で綴ってきた。そして、今はそれが、ない。
1つには現在私が無職だということもある。人としゃべる機会が圧倒的に少ない。よってそこから何か新たな発見をする機会自体がない。さて、どうしたものか?
そう、結構答えは簡単で、やはり読書なのだ。かのウォーレン・バフェットは1日6時間を読書に充てると何かで読んだことがある。そう、“発見”は読書の中にあるのだ!基本中の基本だ!
そんなわけで、時間だけは十分にある私は手近にあった現代文の問題集を読みだした。これが結構面白い!柄谷行人さんの『倫理21』という文章でその主題は「宗教と倫理」の違いは?と言うものなのだが・・・。と、ここでその文章の感想を述べると、それはいわゆる“書評”になってしまうので、ここでは控えたい。
1つ分かったのは、私が言うところの“発見”が多くある会話なり、書物なり、映画なりは私にとって“面白い”と言う事。逆に、この“発見”が1つもない会話なり、書物なり、映画なりは総じてつまらない。“発見”つまり“知る”もしくは“違った角度から見る”ということは面白い!まあ、これまた当たり前と言えば、当たり前なのだが・・・。
さて、わが身を顧みて、この人といても何の発見もないなぁ。(つまらない男)なんて言われないよう、頑張ろう!と思った次第だ。
そんなわけで、皆さん。読書って面白いものですよ!ちなみに今日私が図書館から借りてきたのは(『堕落論』坂口安吾 現代語訳名作シリーズ)です。
ではまた!
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