今日、ある知人から「親方!」と呼ばれた。無論それはジョークだが、私は笑ってしまうと同時に「そうか~俺も冗談でも「親方」なんて言われる年になったか・・・。」と感慨にふけってしまった。
「親方。」悪くない響きだ。私くらいの年になると、自分の家族を持っていたり、組織でそれなりの立場になっていたりと、皆何かしらの大きな責任を負っている。幸か不幸か私に自分の家族はないし、組織で重要な立場にいるわけでもない。でも、冗談でも「兄者」とか「親方」とか言ってくれる人がいるなら「そうか・・・。親方と言われたからには弟子の面倒をきちんと見てやらねばな、とか、幸せにしてやらねばな。」と言った具合に自覚が芽生える。
自分の家族を持つことや、大きな組織の長になることに比べれば、私にできる事とその範囲はごくごく限られたものかもしれない。でも、身近な人の幸せを願える事は、それはそれで、とても大切な事だ。そう思う。
それに教師なり講師なりをしていて常日頃思うのは「現場」が一番面白いという事だ。大きな権限をもって全体を動かしたい。そう願うのは無論とても意義あることだ。でも、私などに言わせれば「現場」の面白さにはかなわないのでは?という事になる。その意味で、身近な人の幸せの手助けができるというのは、私にとってとても意味深い事だ。
そしてこの文章を、組織の長なり指導者なり、大きな権限を持つ人が読んでくれたら、それはそれで、広い意味において、この社会に働きかけている事になるのかもしれない。と、そんな思いを込めて今キーボードをたたいている。
そんなわけで、だいぶ遅くなりましたが、2025年あけましておめでとうございます。
この文章をお読みの皆さんは、身近な人の幸せを願えていますか?声が届く範囲の、手が届く範囲の、ごくごく身近な人の幸せを願うことが、ひいては社会全体の幸福に繋がるのではないか?そんな風に私は考えています。自分もそう思う!と言う方は、どうぞこれからも
『長谷川 漣のどこ吹く風』
にお付き合いいただければ幸いです。
ではまた!
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