最近行きつけのTSUTAYAが変わりつつある。カードバトルのコーナーが設けられるに伴い、中古のコミックが大量に売り出されているのだ。そこにはなんと雨瀬シオリ先生の『ここは今から倫理です。』①~⑧もあった。一冊100円で売り出されていたので思わずゲットしてしまった。正直このマンガは残しておくべきなのでは?と思ったら、案の定それとは別に棚に一揃え置いてあった。複数置かれていたのを一揃えに絞ったのだろう。
売られるマンガがあれば、残るマンガもある。池田理代子先生の『ベルサイユのばら』も棚に残っていたし、宮崎駿先生の『風の谷のナウシカ①~⑧』も棚に横向きに置かれていた。(縦だと大きすぎて棚に入らないのだ)私はそれを見て安心した。
手厳しい言いようかもしれないが、一過性のものと、普遍性を持つ書物としてのマンガと、時代の洗礼を経るのは仕方のない事なのだ。
今、一過性と述べたが、その一過性なのかどうなのかが、にわかには解らないのが、一連の【異世界コミック】である。誕生してもうすぐ10年になろうとしているこのジャンルは今回のTSUTAYAさんの店舗改正に際してもそのスペースを広げつつある。
恥ずかしながらと言うべきか、私はこの【異世界コミック】なるジャンルのマンガを読んだことが未だかつてない。以前、職場の同僚に「何がそんなに面白いの?」とやや直接的に聞いたところ、その同僚は「設定がしやすいところだと思いますよ。」とのこと。何でも、いわゆる前世では冴えない日常を送っていた主人公が、転生して異世界の住人となってみると、実は驚くべきことになっていた。と言うのがその主な趣旨らしいのだが・・・。
私は先ほど述べたようにこのジャンルの書物を読んだことがない。読んだことがないのに、ああだこうだ言うのは憚られる。でも、あえて、あえて言わせてもらうなら、そんなに簡単に“転生”とやらをしてしまっていいのか?上手くいかない現状に、納得のいかない現状に、もがき、苦しみ、葛藤する姿にこそ、物語とか文学とかの神髄ってあるのではないのか?そんなに簡単(チート)でよいのか?
ただ、これだけ市民権を得つつあるということは、何かしらの理由があるには違いない。それが何なのか?ご存じの方は教えてください。私自身そろそろこのジャンルのマンガを読んでみようと思っているところです。
果たして、この【異世界コミック】なるジャンルが先述の2つのマンガのごとく普遍性を備えているかどうか?私個人の感想をいつかこのブログで述べたいと思っております。ご期待ください!
ではまた!
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