男はつらいよ

雑記

 「馬鹿」という言葉一つをとってもその“文脈”次第で意味合いは大きく異なってくる。憎しみ合っている二人の間で交わされた言葉なのか?それとも恋人同士の甘いささやきなのか?言葉はその前後の流れやその状況、つまり“文脈”次第で解釈が変わってくる。だから言葉の真意を知りたいなら、そこに至る“文脈”を知る必要がある。
 
 私の知人が、中学1年の自分の息子の事を「あいつは馬鹿だ、どうしようもない馬鹿だ」とそれこそ口を酸っぱくして言う。字面だけ見ていると「ひどいこと言うなあ」という事になるのだが、やはりそこは親子、前後の文脈(それこそこれまでの親子としての絆を含めて)やその声色を聞いていると「やはり息子さんが可愛いんだな」と伝わってくる。
 
 このように口では「馬鹿」だの、何だのと悪態をつきながらも、その根底には深い愛情がある。「これって『男はつらいよ』的文脈だなあ。」と微笑ましく思った。無論『男はつらいよ』シリーズを全部見たわけではないが、そこには結構、品のない表現や悪態をつく場面が頻繁に出てくる。それこそ『男はつらいよ』というタイトル自体がある意味で男尊女卑的だ。でもこれらの表現や、悪態が少しも差別的ではない。むしろそこには温かみがある。何故ならそこには映画全編を通じて、この『男はつらいよ』的文脈とでもいうべきものが在るからだ。
 
 さて、某世界的スポーツの祭典の組織委員会のトップが“失言”をした。私はその失言の字面だけはニュースで知ったが、そこに至る文脈は知らない。彼の発言はどのような文脈の上でなされたものだったのだろう?先にあげた『男はつらいよ』的な文脈の上でのものだったのだろうか?それこそ文字通り『男はつらいよ』つまり男女の性差や向き不向きを認めた上での発言だったのだろうか?それとも単に女性蔑視的な文脈の上で語られたものだったのだろうか?それを確かめないうちは一方的な判断はできない。と思うと、何だか彼ばかりを一斉に糾弾するメディアの在り様もどうなのかな?と思えてくる。でも、例え『男はつらいよ』的文脈で言ったのだとしても、ダメなものはダメなのだろう。とも思える。なんせ女性の社会進出、男女の平等は“グローバルスタンダード”だから・・・。

 日本が誇る『男はつらいよ』的価値観。世界には通用しないのだろうか?例え、出る杭打つのが日常化していても、例え、年功序列の弊害がまかり通っていても、『男はつらいよ』的文脈が根底にあるのなら、やっぱりこの国は「いい国」だと思うんだけど・・・。もはやそれは昭和の遺物になってしまったのだろうか?悲しいなぁ~・・・。もしこの『男はつらいよ』的文脈・価値観すら存在しなくなってしまったら・・・それこそ中田敦彦さんじゃないけどシンガポールにでも行くしかないのかなぁ・・・(涙)。もっともどんなにシンガポールが魅力的でも独裁国家なんて嫌だけどなぁ・・・。

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