サッカーワールドカップが熱い。今回は1サッカーファンとして思うところを述べたい。結論から言うと“理詰めには限界がある”という事。どういう事か?
サッカーに詳しい芸能人として今回脚光を浴びた日向坂46の影山由香さんが、当初今回の優勝候補筆頭にスペインを挙げていた。その理由としてパスの成功率とボールのポゼッション率が非常に高い事をあげていた。また、解説者の岡田武史さんはこうも述べていた。「ボールを保持するにあたっては基本トライアングル(三角形)をつくる必要があり、その為には然るべきタイミング、然るべき場所に選手がいなければいけない。」
岡田武史さんが言うように然るべきタイミングに然るべき場所に選手が動くことでボールを保持し、ボールを保持する時間が長ければ長いだけ、“連携”が生まれ、チャンスを多く創り出せる。チャンスが多ければ得点の機会も自ずと多くなる。
影山さんの言うところはつまりはそういう事だろう。いわゆるポゼッションサッカーの理論だ。私も基本的にお二人の理論に同意する。パスワークを見ていて美しい、“繋ぐ”ことを基本としたサッカーのスタイルだ。
ただ先日のブラジルVSクロアチアと昨日のアルゼンチンVSクロアチアを観て少し気が変わった。やはり理詰めには限界がある。と言うか、理論で語れる事には驚きが無い。驚きや発見のないサッカーは、それはそれで面白いのだが、やはり見ごたえがない何と言ってもサッカーの醍醐味は「そんなことできちゃうんだ!」という驚きと発見にある。
それがブラジルVSクロアチアのネイマールの得点であり、アルゼンチンVSクロアチアのアルゼンチンの3点目におけるメッシのお膳立てだ。どちらのプレイもいい意味でこちらの期待を裏切る類いのものだった。こういったプレイで我々を魅了してしまうのが少し古臭い言い方かもしれないが“ファンタジスタ”なのだろう。私の世代で記憶に残るのは怪物ロナウド、ロナウジーニョ、メッシ、Cロナウド、ネイマール、そして新しい所ではエムバぺだろうか?彼らのようにいわゆる“違い”を生み出せる選手がいるかいないか?そしてその選手を活かせるか?活かせないか?でそのチームの魅力は大きく異なってくる。そして、その“違い”が勝敗を決する。
我々は“理論を超えてしまう何か”を常に期待しているのだ!これは何もサッカーに限った事ではない。誰かとおしゃべりをしていて、何かの本を読んでいて、そこに驚きや発見があるのとないのでは、そのおしゃべりや読書の楽しさは天と地ほど違ってくる。“理詰めプラスアルファの何か”がないとサッカーにしろ、読書にしろ、おしゃべりにしろ画竜点睛を欠くと言うものだ。
そんなわけで、願わくば、誰かにとって私と言う存在が、もしくはこの文章が驚きと発見に満ちたものであるように・・・。と願うだけではダメなので、努力する日々が続くのだ。
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