会社の上司にジョークを飛ばせる新入社員はちょっくらいない。新入社員同士なら話は別だが・・・。逆に、上司が平社員に向かってジョークを飛ばすのは何ら問題ない行為だ。何が言いたいかというと、ジョークは自分と同等か、下位に属するものに対して緊張を緩和するという意味で有効だが、自分より上位の他者に対しては失礼にあたるし、リスクを伴うという事だ。ジョークを言うものと言われるものとの、これが関係性だ。(無論、例外もあるだろうが)
そのように考えると一つ疑問が残る。組織の最上位に君臨する存在にジョークを飛ばすのは誰かという事だ。一番偉い人を相手にちょっくらジョークなぞ言えたものではない。どうしたものか?
この問題に一つの答えを示してくれるのが「シェイクスピア」の諸作品にみられる『道化師』の存在だ。彼らは王侯や貴族に召し抱えられ、おおむね言論の自由を保障されている。権力者や時には自分を召し抱える主人をコケにしたり、政治を風刺したりと結構やりたい放題である。何故、時の権力者(王や貴族・領主)はこれら道化師を敢えて召し抱えたのか?単純に組織の最上位に立つものとして孤独であったのかもしれないし、絶対的な権力をもった自身を相対化してくれる誰かを必要としたのかもしれない。
西洋のシェイクスピアに対して、東洋の大国、中国では宋の時代に次のような石碑が建てられている。「言論を理由に役人を死罪にしては決してならない。」
どちらも権力者とそれを制中する者との関係性を表している。
さて、権力には程遠い一般庶民にも同じようなことをなす人物?がいる。
『猫』である。
極々ありきたりな家庭内の権力構造に対して、自由気ままな『猫』の存在はそれを自浄する作用を持っているのでは?と、私などは思うのである。現在のネコブームの理由の一端はひょっとするとその辺りにあるのかもしれない。家庭内に硬直した人間関係が存在すると思われる方々、是非、猫を飼ってみては如何?
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