河童

人生に対する姿勢

 芥川龍之介の晩年の作品に「河童」がある。ある男が河童の世界に迷い込んでそこで河童と生活を共にするという話だ。これが当時の日本社会・人間社会を痛烈に風刺していて面白い。特に興味深いのは以下の箇所だ。河童の社会では胎児に産まれたいかどうかを問い、胎児が生まれたくないと答えれば即時に中絶がなされる。合法的に。その際、父親の河童に「この世界に生まれてきたいかどうか」を問われた胎児の返答が印象的だ。
「僕は生れたくはありません。~中略~ 僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」(芥川龍之介『河童』1927年)胎児に産まれたいかどうかを問い、胎児が生まれたくないと答えれば即時に中絶が合法的になされる。
 

 高校生の時にこの小説を初めて読み衝撃を受けた。書かれている内容的には「毒以外の何物でもない」のだが、その「毒」によって自身の「毒」が中和されたように感じた。「毒を以て毒を制す」とはこういう事か?おそらく当時の私は自己の存在に対して懐疑的になっていて、そんな折にこの小説を読んで、ある種の救いを見出したのだと思う。自分のような「闇」を感じている人がほかにもいると思い安心できたのだ・・・。前向きなことを述べるだけが救いになるとは限らない。「毒」が救いになることもあるのだ。ただ、この作品を発表して間もなく芥川龍之介自身は自殺して他界しているわけで、その辺りは難しいと思う。
 

 今にして思うと、なぜあの頃はあんなに敏感だったのだろう?生きることに対して。死ぬことに対して。「自分は何のために生まれて来たのか?目的なんかない、ただ生まれてしまった以上、生きねばならないのだ」とか、「そもそも俺はいつから俺なんだ?物心ついた時?いつ俺は俺になったんだ?死ねば俺は俺から解放されるのか」とか?そんなことがぐるぐるぐるぐると頭の中をめぐっていた。ノートに「死」という字をびっしりと書きまくっていた事もあった。あの頃は何だったのだろう?生と死に対して今よりよほど敏感だった。真剣だった。自分の事で頭が一杯だった。そして孤独だった。何だったのだろう?それが私の10代後半だ。そんな折に出会ったのがこの「河童」だった。

 よい出会いだったのか?悪い出会いだったのか?今でもわからない。でも救いは確かにあった。いい意味で救われたのか、悪い意味で救われたのか。それもわからない。「これで芥川龍之介が天寿を全うして子や孫に囲まれて大往生でもしていてくれたら」と思う。その一方で、「そんな芥川が書いた小説では一向に説得力がないではないか」とも思う。今この文章を書きながらあの頃そうだったように、再び自分自身と向き合っている。真剣に。深夜3時を回ろうとしている。それでも答えは出ない。この文章に結論はない。でもこれだけは言える。「河童」をあのころ読んでおいてよかった。

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