NHKの大河ドラマ『べらぼう』を見ていて父が問うてくる。
「田沼意次のあとの改革者は誰だっけ?」
私が
「『白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき』だから、松平定信だよ!」
と答えると、
「何代将軍の時だっけ?」
と問うてくる。それに対して私が
「いや、何代将軍の誰の時だったかは忘れたけど、それはどうでもいいだろ。それより田沼意次がやろうとしたのは「武士よりも町人の力が強くなってきた時代に合わせた貨幣経済中心の国作り」つまり歴史の流れを進めようとした。これに対して、松平定信はそれを逆行させようとした。つまり「武士中心の封建的社会への回帰」を指向した。そのことが大事なのでは?」
と言うと、これに対して父は
「何代将軍の時かわからなければしょうがないだろ!」
とのたまう。
「なんで、何代将軍の時かが重要なんだ?」
と私が聞き返すと
「そりゃ、何代将軍かわからなくちゃしょうがないだろう!」
と言い返す。時間の無駄だと思った私はそれで引き下がった。ああ、これが教育の質の在り方の違いか・・・。と私は思う。父は戦中生れの人間で暗記中心の社会科教育を受けてきた世代だ。話がかみ合わないのも仕方ない・・・。
何代将軍の時に松平定信が改革を行ったのかは父にとって重要なのは、おそらくそれが、試験の点数にかかわる事柄だったからだろう。しかし、松平定信の改革が大まかに江戸時代のどのあたりかが解れば、第何代の将軍の時だったかまでは、歴史の本質を理解するうえで何の役にも立たない知識だ。それを点数に反映させた試験問題はナンセンスとしか言いようがない。
歴史を学んでいると?と思うことが多々ある。その何故?を突き詰めていくと必ずと言っていいほど「お金」の「経済」の問題に突き当たる。今回の田沼意次の話も然り。
ところで、近年、田沼意次が再評価されているのは、彼が貨幣経済のいっそうの浸透を図った点にある。つまり、歴史の流れを自然な形で進めようとした点だと私は理解している。彼の改革がそのまま進められていたなら、明治維新とは違った、もっと自然な形で日本の近代化は進んだかもしれない。まあ歴史に「たら・れば」はあり得ないが・・・。そういう視点で現代を眺めてみると、村上世彰氏や堀江貴文氏の業績は我々が死んでから再評価されるのでは?なんて事を思ったりもする。
まあ、それはいいとして、先ほど述べたように、歴史を学んでいて「何故?」と思う事を突き詰めていくと必ずと言っていいほど「金融」・「経済」の問題に突き当たる。言い換えれば「金融」や「経済」の知識は「歴史の本質」を理解するうえでは不可欠なのだ!そして、理解さえ伴えば暗記は決して苦痛ではない。大切なのは本質の理解だ!
よって私はここに『小中学生からもっと経済や金融の勉強を取り入れるべきだ』と提唱する。しがないフリーター(塾の非常勤講師)の声ではあるが、こういった声にもならない声がゆくゆくは国全体の教育の質や在り方をよりましなものに変えていくのでは?そういう思いで提唱する。
もう一度、
『歴史を面白くするために』
と題して、3段論法でまとめてみると
- 歴史の勉強がつまらないのは「理解を伴わない暗記」が多いから。
- 小中学生のうちから「金融」「経済」を学べば暗記に理解が伴う。
- よって、小中学生から「金融」「経済」について学ぶべき
そんなわけで「「金融や経済」の勉強を小中学生のうちから取り入れるべきだ」とここに宣言します。
2025年2月11日 長谷川 漣
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