正反対な君と僕

雑記

 先日、阿賀沢 紅茶先生の(『正反対な君と僕』①~⑦ 集英社)を読んだ。面白かったので感想を述べたい。内容的には、高校生の群像恋愛劇と言ったところなのだが、物語の初めのころから私の興味を引いていたのが、影の主人公ともいうべき平(たいら)と言う男子高校生の存在だ。この平と言う男子は根暗で、人づきあいが下手。誰よりも深く思考し、それを言語化する。この平が周囲とのかかわりの中で徐々に変わっていくのだが・・・。

 最新の第7巻の中で、彼の妹が兄である平をバッサリと切り捨てる。

「あの人自分にしか興味ないでしょ。」

 そうなのだ。彼の思考は高校生とは思えないほど深い。ただ、その対象は常に自分自身だ。7巻の後半で彼自身もそれを自覚する。その後、彼がどうなってゆくか?それが私としては興味がある。

 この物語的には「自分にしか興味がない」と言う性向を重要な欠点として今のところ描いている。それはそうだ。社会生活を営む上で「自分にしか興味がない」のは大いなる欠点だ。いわゆる社会不適合者の烙印を押されたとしても文句は言えない。ただ見方を変えればこうも言える。

「自分にだけ興味を持てる」

と。これはある意味凄い事である。過去の歴史を振り返っても、私の経験からも、いわゆる才能と【自己に対する興味】は表裏一体の関係にある。どんな分野でもそうだと思うが、才能を発揮する人間と言うのは例外なく自分が好きだし、自分に対する興味が人一倍ある。

 「自分にだけ興味を持てる」と言うのはそれ自体もうある種の才能なのだ。平は今のところそれをコンプレックスとして受け止めているが、もし彼が何らかの形でそれを昇華する手段を持てば、それは彼にとって大いなる武器になるのでは?と私などは感じる。もっともそれが当人にとって幸か不幸かはわからないが・・・。

 それとも、平は普通の恋愛をして普通の大人になっていくのだろうか?どうやら7巻の終わりを見る限り、阿賀沢先生はそんな結末を用意しているようだ。それはそれで物語としては面白い。村上春樹先生の『ダンスダンスダンス』を読んだことのある方ならお分かりと思うが、小説の最後、才能の塊のような少女ユキは《普通の大人》へと変わっていく。丸くおさまるというのは、そう言う事なのかもしれない。

 なんにせよ、第8巻の発売が待ち遠しい。この文章を読んでご興味を持たれた方は、是非、ご一読をお勧めします。きっと楽しめると思いますよ!

 ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました