本当の強さ

人生に対する姿勢

 私の兄は深夜遅く、それこそ次の日になってから家族のグループラインに写真を送ってくることがたまにある。幸い、父と母はスマホを居間に残して寝ているし、私は夜更かしをするたちなので問題はない。そんな折は一言でも二言でもいいから、もしくはスタンプだけでもいいから、すぐに送り返すようにしている。兄は仕事で疲れて帰ってきたのかもしれない。もしかしたら孤独なのかもしれない。それは解らないが、何にせよ私からの返事を見て兄がホッとしてくれればそれでいい。そんな風に思って返信する。もっとも多分余計なお世話だと思うが・・・。何にせよ、ラインの返事はできるだけすぐにと言うのが私の流儀だ。

 これとは逆に私がラインを送ってもなかなか返事がない友人がいる。忙しくしているのかもしれないし、単に私が軽く見られているだけかもしれない。それはそれで一向に構わない。ただ、もしかしたら友人は淋しいのかな?と少し心配になったりもする。この下手な気遣いは私の経験則からきている。

 その昔、私は普通に暇な時はすぐメールを(当時はまだメールが主流)返した。でも、暇すぎて淋しいのがある一定のラインを超えると、逆に返信をわざと遅くした。自分が淋しいのを相手に気取られるのを嫌ったからだ。我ながら何とも情けない話だが、そういう自意識過剰な一面がその頃の私には確かにあった。今だってそうかもしれない。

 そんなわけで、友人のラインの返信が遅いと、少し気になってしまう。余計な気遣いとは良く言ったもので、当の友人がこの文章を読んだら、それこそ気持ち悪がられるかもしれない。私だって自分自身「50に手の届くおっさんが、きしょい!」と思わないでもない。でもまぁ、それが俺と言う人間か。と最近では、その自意識過剰な面も含め、自分自身を認めるというか、受け入れるというか、できるようになった。単に年を取って丸くなっただけかもしれない・・・。

 さて、皆さんはどうですか?「淋しい時」に「淋しい」と言えますか?それはもしかすると、【弱さ】ではなく、むしろ【強さ】なのかもしれません。もっとも、【昭和】生まれの男子には口が裂けても言えないことですが・・・。まだ若い皆さんは「淋しい時に淋しいと言える本当の意味での強さ」を手に入れてほしいと思います。

 同時に「孤独な人を作るべからず!」確か聖書の文言だったと記憶していますが、2000年以上を経ても、我々が本当に心すべきは、そうそう変わらないのかもしれません。

 ではまた!

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