私に障害がある事は以前このブログで述べたが、私の父の妹、つまり、私の叔母にも知的障害がある。叔母は普段は知的障がい者施設に入っているが、お盆と正月の休みにだけ両親のもと、つまり私たちの住む家に戻ってきてそこで2週間過ごした。母はこのK子叔母さんの帰ってくるお盆と正月が凄く気疲れしたそうだ。はっきり言って障害のある人、それも知的障害のある人の世話をするのは骨の折れる仕事だ。時間も労力もかかる。それを実の両親の目の前で行わねばならないのだから、母は大変だったことだろう。K子叔母さんが家にいる間、何不自由のないよう努めねばならない。それは、それは、気を使ったそうだ。今になってやっと聞けたことだが「K子叔母さんが障がい者だから気を使ったんだろ?」と聞くと母は「そんな事ないよ。」と答えたが、後になって「いや、それもあるね。」と返した。母は真面目で優しい人だ。私にはその母の気持ちがよく解る。その背景には真面目な母なりの「決して差別してはならない」と言う強い思いがあったのではないだろうか?「障がい者だからと言って決して差別してはいけない。」そう強く思えば思うほど、その想いが母をがんじがらめにして心理的に疲弊させたのだ。母はもっとざっくばらんにK子叔母さんとつきあえたらよかったのだ。それこそ「障害あるからってお姉ちゃん大目に見ないからね!覚悟しな(笑)」とでも言い合える関係を築けたらよかったのだ。そのくらいの冗談はK子叔母さんには通じる。でもさすがにそれを言うのは、K子叔母さんの両親、つまり母にとっての舅と姑の目の前では難しかったのだろう。当時の母が本当に気疲れしていたのを今でも覚えている。
K子叔母さんにとっての両親、母にとっての舅・姑、私にとっての祖父母が亡くなり、それから随分して、父と母と父方の叔父とK子叔母さんと私で会食をした。途中で他のお客さんが入ってきて隣の食卓についた時、私の頭に一瞬ほんの一瞬「やだな」という思いがよぎった。父と母そして叔父さんはそれに気づかぬふりをしたがK子叔母さんは率直だった。「ほらあんたもおんなじだよ。」とその目が語っていた。私は恥じた。心底恥じた。そこで私は一息ついて肩の力を抜いた。「あーそうだ。俺にも差別心はあったな。俺自身も障がい者だってのに・・・まあ、それも含めて俺だ。」店から出ると私はK子叔母さんの前で頭をかいた。「いやーK子叔母ちゃん。そんなにうまい店じゃなかったなあ。でもまあこんなもんかな」と言うとK子叔母さんは手を出して握手を求めてきた。私が手を握り返すとギューっと思い切り握り返してきた。「いって、K子叔母ちゃん力あるなあ!」と言うとK子叔母さんはにんまりと笑った。「それでいいんだよ」と言われた気がした。いわゆる知性と知能とは別物だとその時思った。K子叔母さんをこの時ほど身近に感じたことはなかった。自分自身が障がい者になった事とそれはどう関係しているのだろう?
障がいについて考える時、それを隠したり、恥じたりする必要が無いのは以前にもこのブログで述べた。でも、だからと言って変に障がい者を美化したり、必要以上に気を使って腫れ物に触るように接するのも、それはそれで違うと思う。母には申し訳ないが「障がい者だからって決して差別してはいけない」と言う想いは、それ自体がある種の差別に他ならないのだ。皮肉な事ではあるが、それが真摯なものであればあるほどに・・・。
スピッツの草野マサムネさんがある楽曲の中で歌っている。「振り向けば、優しさに飢えた優しげな時代で」と。我々が求めてきたのはそんな世の中ではなかったはずなのだけど・・・。障がいやハンディのある人々に我々?はどの様に接するべきなのか?難しい。ただ北野武さんの本など読んでいると、そこにヒントがあるように思われる。北野さんのひどい毒舌、馬鹿に対して「馬鹿野郎」、教養のない人に対しては「学がねえなあ」と歯に衣着せないその言葉の裏には優しさがにじみ出ているのだ。それは下手な気遣いよりもよっぽど温かみがある。山田洋二監督の「男はつらいよ」シリーズにも通じるところがある。
今度K子叔母さんに会ったら言ってやろうと思う。
「K子叔母ちゃんちょっと見ない間に老けたね。美人が形無しだよ(笑)!」と。
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