毎年耳にする春闘とかベースアップ(ベア)がどのように決まるのか?なんとなくニュースを聞いていただけだったが、その意味が解ったので以下に記す。
不景気の時、我々低所得者層(要するに貧乏人)は何かと言うと「金持ちが悪い」という論理に安易に飛びつきがちだが、それはいかにも乱暴な感情論ではないだろうか?ある方によれば「経営学」と「経済学」とはそれぞれ富の「集中」と富の「分配」に関する学問だとの事。「経営学」によって得た富を「経済学」にのっとり分配する。儲けた利益を全て分配に回してよいのなら何も苦労はいらない。実際には≪次≫がある。経営は顧客や被雇用者がいる限り半永久的に続くからだ。である以上、儲けた中から次に儲けるために残しておかねばならない。それが再投資のための余剰資金だ。
では、どれだけ次回以降の為に残すのか?どれだけ分配していいのか?経営サイドと労働サイドでその最適解を見つけるのが春闘であり、ベースアップなのだ。経営サイドが富の集中の事だけ考えていたのでは成り立たないし、労働サイドが富の分配の事だけ考えていたのでも成り立たない。双方の視点(経営&経済)から考える必要がある。そこで思ったのだが「経営学」と「経済学」の両方を学んでいれば、ここで言うところの最適解をより一層見つけやすい視座を得る事が出来たのではないだろうか?
大学に6年もいた私としては、今にしてみると、経済・経営の授業も受けておけばよかったと思うのである。私は文学部で歴史を学んでいたのだが、歴史を学んでいれば必然的に経済を学ばないわけにはいかない。戦争の背景を考えれば必然的に経済が浮かび上がってくるからである。ただその事に気づいたのは卒業して何年も経ってからで、在学時にはそこまで考えられなかった。もったいないことをした。もっともいずれはそういった最適解を見つける専門の人工知能が開発されるかもしれないが・・・。
今までは春闘とかベースアップという言葉を労働サイドの側からしか見る事が出来なかったが、この文章を書いていて、それだけでは世の中の仕組みを理解するには足りないことが解った。では、何故こんな文章を書こうと思ったかと言うと・・・それは前回に引き続き(『アルキメデスの大戦』三田紀房)を読んだからなのですが、それはまた次回に。
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