職業柄(学童の先生)よく指導者と言う存在について考える。
理想の指導者とは?
理想のリーダー像とは?
私の経験上、良き指導者・良きリーダーとは専門の能力とは別に、次の二つの人格的資質を兼ね備えた人物のことだ。
① 愛される資質
② 恐れられる資質
①が必要なのは言うまでもないことだと思う。理想を言えばこの①だけで組織が回ればいい。しかし残念なことにと言うべきか、それだけでは足りない場面が往々にしてある。そこで②にスポットが当たる。武や恐怖を背景にした②の資質が否応なしに必要になってくるのだ。それに集団を律する上では②の資質を使った方が圧倒的に効率が良い。
もちろんどんな指導者でも①と②の資質を併せ持っている。いつも怒っている指導者もいるし、逆に滅多に怒らない指導者もいる。私事で恐縮だが私の父などは本質がどうであれ、②の資質を前面に出して職務に当たっていたことと思う。(父は教員だった。)これに対し、息子の私は②の資質が圧倒的に欠けている。それは高校教員をしていた頃から変わらない。武や恐怖でもって相手を威圧するという事が全く持って私は苦手。と言うか嫌い?なのだ。
先にも述べた通り、①の資質だけで組織を回そうとするのは理想論だ。どうやら私は理想論者(ロマンチスト)らしい。もっともロマンスの神様が舞い降りたことはついぞないが・・・。
そして私のそういう性質的傾向を快く思わない方ももちろんいる。そういう方との間に軋轢が生じるのも無理ない話だ。もし私にほんの少しでも②の資質を好むところがあったら今頃、元の高校の教員をしていたかもしれない。まあ、過去を悔やんでも仕方ない。覆水盆に返らずだ。
昔貪るようにして読んだ小説(『銀河英雄伝説』田中芳樹先生)の一方の主人公にヤン・ウェンリーがいる。彼は誰よりも戦争を嫌っているくせに、誰よりも戦争が上手で、右を向けと命令されれば、損とわかって左を向くような人物で、それでいて私生活は世なれぬさえない一青年で・・・。この青年が物語上で民主共和政のリーダーとなってゆくのだが・・・。
このヤンは人を威圧するという事が心底嫌いで、そんなヤンが私はとにもかくにも好きだった。ヤンは先の例で言えば①の資質だけで組織を動かしていた理想主義的なリーダーだ。どうも私はこの架空の人物の影響を多大に受けたらしい。ただ、このヤン・ウェンリー、本伝をお読みの方はご存知と思うが、あまり良い死に方はしない。ロマンチストに有り勝ちな「足元をすくわれる」と言う形で物語の舞台から去ってゆく。これはこれで一つの教訓かなとも思う。現実主義的な面を持ち合わせていないと足元をすくわれてしまう。気を付けよう。
ヤンは作戦上、様々な場面で相手の心理の裏を突いて勝利を収める。ただ彼自身はその存在を偽る事は決してなかった。また、常に自分が矢面に立った。その辺が私の彼を好きな一因でもある。
結論としては「恩威並びに行うと」いう表現があるように、①と②の二つの資質を併せ持った人物がリーダーには向いているのだろう。私なんぞには到底無理な話だ。でもそれでいいと思う。これまたoasisの引用だが「自分は自分以外の何物にもなれない」のだ。
I need to be myself
I can’t be no one else.
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