押してダメなら

歴史

多様性の大切さが叫ばれる昨今。
多様性の何がそんなに大事なのか?
多様性とは何かを考えてみた。

結論から言うと多様性とは
「押してダメなら引いてみな」
という事だ。
もう少しいうなら
「引いてダメならスライドさせてみな」
「それでもだめならノックしてみな」
といったところか。
ある問題に対して
Aという解決法しか持たない場合
その手段Aが通用しなければ
それで終わりだ。
しかし、Bという手段を併せ持つなら
解決の可能性が広がる。
また、Cという手段を持つなら
さらに解決の可能性が広がる。
ABCDEFG・・・と手段が多ければ多いほど
解決の可能性が広がる。
これが、つまりは多様性の意義だ。

さて昨今この多様性について
欧米でその是非が問われているわけだが・・・
そこには何か根本的な矛盾があるように思われる。

それは宗教だ。
ユダヤ教に始まり、キリスト教、イスラム教
この三つの宗教はみな一神教だ。
古代ヘブライ人によって創られた唯一神。
その解釈を変えただけで
この3つの宗教は同じ唯一神をその信仰の対象としている。
その3つの宗教が歴史上
時にいがみ合ったり
時に協調したり
時に一方が他方を移民として受け入れるかどうかで
もめていたりするわけだ。
これは多様性の意義と
根本的に矛盾している。

モノ、ヒト、カネの移動の距離とスピードが
ここまで進化した現代において
人種・民族が入り乱れるのは必然かもしれない。
そこで生じる様々な衝突(コンフリクト)を
解決するために
多様性が必要とされているのではないだろうか?
だがそのコンフリクトを生み出す一因になっているのが
そもそも多様性の価値観と相入れない
一神教思想なのだとしたら
それはグロテスクな矛盾だ。
その意味で
一神教というのは人類の作り出した
非常に便利な、
しかし、たちの悪い道具
なのかもしれない。
そんな道具
いずれは時代遅れになるのではないか?
と、思うのは私だけだろうか?
幸いこの国には八百万(ヤオヨロズ)の神がいるらしい。
(見たことないけど)
脱原発はもちろんだが
脱一神教を呼び掛けてみるのも面白いかもしれない。
多様性うんぬんはそれからのような気もする。

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