「要(※夫の名前)にとって女というものは神であるか玩具であるかのいずれかであって、妻との折り合いがうまく行かないのは、彼から見ると、妻がそれらのいずれにも属していないからであった。」
と小説『蓼食う虫』の中で谷崎潤一郎が述べている。私はあまり趣味では無いので谷崎潤一郎は「痴人の愛」くらいしか読んでないが、友人から紹介された事がある。なんかすごいフレーズだなと一瞬引いたのをよく覚えている。ただ、一面の真実を述べているのも確かだ。「要」という固有名詞を「男」という一般名詞にしても十分通用するだろうし、現代ではその逆(男女を変えても)だって然りだ。
さて、私は未婚者で「蓼食う虫」に出てくる主人公「要」達の気持ちは知る由もない。だが、一男性として「要」の言う事は解る気はする。ついでに言わせてもらうならば過去はともかく現在(おそらく未来も)私にとって「神」となるような異性は身近にはいない。いるとすれば液晶画面のはるか向こうに映る椎名林檎さんや宇多田ヒカルさんもしくは深田恭子さん(笑)位なものだ。かといって十代二十代の頃のように、もう寂しいからって玩具を欲しがるほどに子供では私はない。と、それを承知で近づいてきてくださる方がいるとすれば、こう言うしかない。「おまっいいけど、やけどすんなよ!(笑)」
狂人の戯言(たわごと)と思ってくだされば幸いです(笑)。
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