「先生って将棋以外は弱いね。」
「(笑)そうか、弱いか。ではMに聞く?そもそも《強さ》ってなんだ?」
「《強さ》は《強さ》じゃん。」
「だからその《強さ》さ(笑)。Mよ、君が言いたいのは、いわゆる腕力か?それとも声を荒げる事か?それとも数を頼みに個人を追い詰めることか?」
「・・・・。」
「今言ったのは《強さ》の一番わかりやすい、目に見える一面に過ぎない。そして人は往々にして目に見えるものをありがたがる。でも本当に大切なものは目に見えないのさ。」
「???。じゃあ何が強いの?」
「先生の考える強さはこうだ。たとえ世界中を敵に回してもそこに論理的整合性があるなら自分を曲げない事。それが強さだ。」
「わかんない・・・。」
「例えばこうだ。Mのクラスでいじめがあったとする。Mはどうする?いじめる側に回るか?それとも見て見ぬふりをするか?それとも・・・?」
「・・・いじめられる方にも理由があったんじゃないの?」
「もしかしたらそうかも知れない。でも、それでもいじめはダメだろ。たとえクラス中を敵に回しても、それでもいじめはダメだと主張する。それが先生の考える強さだ!」
「・・・先生そういうのってつらいよ。もう少し利口に、大人にならないと・・・。」
「なるほどMはそう考えるか。それも一理ある。でもな、クラスをより良い方向に導くのはそういうお利口な奴じゃなくて「ダメなもんはダメだろ!」と言ってしまう馬鹿な奴なんだよ!(「馬鹿」という言葉の本来の使い方とは異なるんだけど・・・。)もっと言ってしまうと、世界を、社会をより良い方向へと進めてきたのはそういう馬鹿な人たち、大人になり切れない人たちなんだ。それは歴史を学べば解かる。」
「ふ~ん。なんか、強さって深いね。」
「うん、深いんだ(笑)。それが解ったらMよ!本来の意味で強くなれよ!そしてお利口な大人になんかなるな!それよりもスケールのでかい子供であれ!」
※この文章はフィクションです。
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