先日、NHKで放映した井上陽水さんの特集番組で、ゲスト出演した松任谷由実さんが語っていた。自分(松任谷さん)と陽水は共通した感情をテーマにしていて、それはセンチメンタル(感傷)やメランコリー(憂鬱)と呼ばれるものだと。そのどちらも贅沢な感情だ。何故ならどちらも食うや食わずの状況では生まれえない感情だからだ。昭和の、高度経済成長下、世間が豊かさへと向かう中で、それに対するアンチテーゼとして陽水は『傘がない』を歌ったのだし、自分は『中央フリーウェイ』でそれを歌ったのだと。
すごい。自身が歌うテーマとそれがどう時代にフィットしているかを自己分析している。名曲を生み出すのみならず、それを自身で俯瞰している。なかなかできる事ではない。お二人には及ぶべくもないが私も自身の書いてきた文章を振り返ってみた。それはどのような感情がテーマで、どのように時代とフィットしているのだろう?様々なテーマについて書いてきたつもりだが、少なくとも、センチメンタルやメランコリーではない。また、いわゆる都会的なおしゃれな感情でもない。惚れた腫れたの感情でないのも確かだ。パンクでロックなものかと言うとそれだけでもない。何かこうもっと根源的なもの、と思い起こしていたら一番初めに書いた文章に行き当たった。『矛盾』と言う文章だ。
~小学生のころ、世界中のみなが幸せになれればいいのにと思った。でも同時に、「他人より幸せであることに幸せを感じる自分」にも気づいていた。矛盾だ。この矛盾を整合できないだろうか・・・。~
と言う文章だ。今気づいたのだが、これこそ贅沢な感情ではないだろうか?「世界中の皆が幸せに・・・。」なんてちょっと出てこない言葉だ。我ながら驚いてしまった。よっぽど小学生の頃の私は満ち足りていたのだろうか。私の父は地方公務員だし母は専業主婦だ。経済的にはごく普通の家庭だったと思うのだが・・・。ちなみに井上陽水さんの親は歯科医師、松任谷由実さんの実家は呉服屋らしい。
この『矛盾』と言う文章が時代にどうフィットしているのか?いないのか?わからないが、少なくとも物資的な豊かさではなく、精神的な豊かさをテーマにしているのは確かだ。もしかすると現代は物質的な豊かさから精神面での豊かさ重視する時代へとシフトしつつあるのかもしれない。もしくは「最大多数の最大幸福」から、「幸福の相対化」へのシフトチェンジ。(「幸福の相対化」と言うのは今私が創った造語だが意味は通じると思う。)
もし、この『矛盾』と言う文章が時代にフィットしているならば、その証として「幸福の相対化」と言う言葉が市民権を得るかもしれないし、流行語大賞に選ばれるかもしれない(笑)。フィットしていなければ忘れ去られるだけだろう。何にしても、私も20世紀の後半に生を受けたものとして「時代」の子であるのは逃れられない事実だ。どうせならフィットして市民権を得たいものだ。皆さんはどう思われますか?どこかの誰かより幸せである事に幸せを感じますか?それを自分ではどう思いますか?
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