幸せの定義

人生に対する姿勢

 今日、車中で母の友人の娘さんが、無事産休育休を終えて以前勤めていた会社にキャリアとして再雇用されたという話題になった。運転中の私は「そっか。良かったね。」と軽く応じた。でも次の瞬間「あれっ、誰にとって何が良かったんだろう?」と自分で自分の発言の趣旨がわからなくなってしまった。

 本人にとっては仕事が面白くてキャリアとして復帰できたのなら、それは申し分ない事だろう。また、家庭にとっては収入が増えるわけで、これまたいい事だろう。ただ、お子さんとの時間は減るわけでそれは少し寂しいかな?とも思う。

 女性キャリアとしての再雇用と言う文言を聞くと、それだけであまり考えずに「すごいな~。良かったな~。」と言う感想が出てきてしまったが、それって時代の空気だよな。そんなに簡単なもんでもないよなと思う。私は「生きがいと、金銭と、時間と。難しいところだな。」と独りつぶやいた。

 仕事が楽しいなら、それに越したことは無い。ただそれと反比例して家族との時間は短くなってしまう。金銭的に豊かになるのは確かだけれど、他人より贅沢出来たってそれが幸せに直結するとは限らない。そう、これってそもそも【幸せ】って何か?って問題なのだ。

 では、【幸せ】って何か?そんなことを考えながら車を走らせた。

 もちろん【幸せ】の定義には個人差があるし、時代によっても違ってくる。それに家族とかコミュニティーと言った単位で考えた場合は話も違ってくるだろう。ここでは広く一般に、個々人の最大公約数的な【幸せ】について考えてみる。

 私の考えるごくごく一般的な【幸せ】の定義はこうだ。

  • 家族・友人・パートナーなどの身近な人たちと良好な(煩わしくない)関係が築けているか?
  • 没頭できる何かがあるか?
  • 必要十分な時間的余裕があるか?
  • 必要十分な金銭的余裕があるか?
  • 社会貢献ができているか?

 これら5つがバランスの良いグラフを描けているのが理想だ。

 さて、わが身を振り返ってみてどうだろう?①~④まではまあ、概ね良いのではないか?と思うのだが、⑤については正直心もとない。社会貢献か・・・。東北のある自治体に勤務する友人が言う事には、やはり、どんなに良いことを言っても、社会貢献していない人間の言う事は説得力に欠けるとの事。確かにうなずける話だ。今度、町内のごみ拾いでもやってみようかな?まあ、⑤についてはその人の身の丈に合った社会貢献ができればそれでよいのだと思う。町内のごみ拾いだって立派な社会貢献だ!

 そんなわけで、今回【幸せ】について考えてみました。この文章をお読みのあなたはズバリ【幸せ】ですか?残念ながら自分は幸せじゃない!という方は、どこを引っ込めて、どこを伸ばせば良いか?じっくり考えてみてください。そして行動に移してください!

 えっ私?ありがたいことに私はどうやら結構幸せらしいです。でも昔からずっとそうだったわけではありません。お金はあっても使う時間がない。同窓会に行きたくても仕事だ!なんて事が多々ありました。今は服はユニクロだし、車は軽自動車だけど、好きな本や漫画を読む時間があり、くだらないジョークを言い合える仲間がいます。そして何より、没頭できる事、つまりこのブログがあります(稼ぎには程遠いけれど・・泣。)

 最後に、是非皆さんも自分なりの【幸せ】を探して【幸せ】になれるといいですね!

 ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました