先日、職場の学童で学習の時間、小学3年生のある児童が算数のプリントで苦戦していた。見ると分数の問題で手こずっている。
5分の1が□コで1になります。□に入る数を入れなさい。
と言う問題だ。私はその児童のプリントの隅にホールケーキを4等分した図を書き
「これ1つが何分の1?」
と聞くと、その児童は
「4分の1。」と答える。私は
「オッケーそうだね!そこまでは解かるね!」と答えて、次に図に色を塗りながら
「この4分の1が1つ、2つ、3つ、4つと。いくつあると元の1つのケーキになる?」
と尋ねる。すると今度は
「4つ。」
「そうだね!正解。では今度はケーキを5つに分けてみる。するとケーキ一切れは何分の1?」と聞くと
「5分の1」
「じゃあ、この5分の1がいくつ集まると“元の1このケーキ”になる?と聞くと、今度は「5だ!」と答える。
「じゃあ答えは?」
「5」
「今度はちゃんと解ったね?」と聞くと
児童は黙ってうなずく。
分数の概念を正しく理解できているかどうか?が問われる問題だ。この話をちょっと年上の友人に伝えたところ、
「懐かしいね。大人になれば誰でも解るけど、初めて聞いた時は解かんなかったな~。」
「うん。そうなんだよね。分数って言う抽象的な概念を、ケーキって言う手に取って触れる具体的な“モノ”に置き換えて説明してる。そうする事で子供にも解るんだよね。」
「具体化か~。確かに。」
「発達段階にもよるんだけど、ジョークでもみんな最初はダジャレから入るでしょ。それがだんだん抽象的になっていく。それと同じなんだよね。」
「あ~わかる。わかる。例えば『ナイスな椅子ないすか?』これって非常に具体的だって事でしょ?」
「そうそう。それこそ家具屋に行けって言う(笑)。このジョークって非常に具体的って言うか平面的って言うか・・・。それに対して例えば、さかなクンが『僕のお父さんは勉強しろとか言わずに僕を自由に泳がせてくれたので、今の僕があります!』って言うのは比較的抽象的だし、立体的な笑いと言える。抽象の度合いが高くなるにつれて、平面的な笑いがだんだん立体的な笑いになっていく。面白いでしょ!」
「確かに面白い!でもそうすると私の笑いは平面的なのばっかだな~。」
「うん、ジョークは言う人の個性が出るよね。たまにしか言わないけど、妙に立体的なのいう人や、平面的だけどとにかく頭の回転の速い人とか。人それぞれで面白い!俺なんか頭の回転はのろい方だしね。ちなみに今までで心に残っているジョークが2つあって、それぞれ別の友人が言ってたんだけど・・・。」
「へ~どんなの?」
「1つは仙台市内をドライブしていて市内で一番大きなスクランブル交差点で止まった時、俺が『こいつはまさにヒューマンスクランブル(人間交差点)。』(弘兼憲史のマンガで当時仲間内で流行っていた)と言うと友人が『僕らは今日も信号待ちさ』と言ったモノ。当時我々二人はどちらも就職浪人していて、その時の心情を昨日の事のように思い出す(笑)」
「なるほどね(笑)。面白い。もう1つは?」
「任天堂64の実況ワールドサッカーで『とどけ!この想い‼‼‼』って言いながらラストパス出すの!これは笑った‼‼‼」
「(笑)。それはウケるね!長谷川君自身は面白いのないの?」
「う~ん、俺自身はそんなにジョーク言う方じゃないんだけど・・・。どちらかと言うと笑わす方と言うより笑われる方と言うか・・・。もしくは何故おもしろいのかをかみ砕いて考えると言うか・・・。」
「それって存在自体がジョークと言う奴では?」
「いや、そんなことは断じてないんだけど・・・。ただ、俺はこうも思うんすよ。つまりジョークと奇跡は紙一重なのではないかと!」
「それって自分の存在が奇跡だって事?それが長谷川君の面白いとこだよ(笑)!」
「いや、そう言うわけでは!まあでも、それでもいいか(笑)!。」
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