寂しさは苦しさだと思う。
先日、勤務先の学童で一人ぼっちでボール遊びをしていた子がいた。
「一緒にやろっか。」
と声をかけて、二人でバレーボールのトスをして遊んだ。
読書やぬり絵は別として、一人で遊んでいて楽しい子なんているはずがない。初めは大人が声をかけて一緒に遊ぶ。それを見ていた子供たちが、次からは子供たち同士で声を掛け合って一緒に遊ぶ。そのように自然にもっていく事、つまり「一人ぼっちをつくらない」事が学童支援員としての一番大切な仕事だと思っている。子供は大人を見て真似をするもので、その意味で大人は子供の手本にならねばならない。一人ぼっちはつまらないよ、一人ぼっちは苦しいよ。誘って一緒に遊ぼうよ。という事が言外に伝わればよいのだ。
ところがドッコイ、これが難しい。何故って、我々大人の世界でも往々にして“一人ぼっち”はあるから、もしくはつくられるからだ。それは教員時代も、会社員時代も、そして前の学童でも感じた事だ。唯一感じなかったのはドラッグストアのT店長(当時)のもとで働いていた時だけだ。(T店長ありがとうございました。)
無意識のうちにか、意図的かは解からないが、大の大人同士の間でさえ、一人ぼっちができてしまう。もしくはつくられてしまう。こんな事では子供たちにそれを求めるのは酷というものかもしれない。それも会社員はともかく、教員や学童支援員と言った教育に携わる大人たちの間ですらそうなのだから、なおさらだ。教師や学童支援員などという職業は“一人ぼっち”をつくらない事が仕事の大半のウェイトを占めるのではないかと私などは思うのだが・・・?私の認識は間違っているのだろうか?
幼稚園や小学校の教師、また、児童教育に携わる方々にはもう一度確認してほしい。
「寂しさとは苦しさだ」と。その上で、まず大人同士が一人ぼっちをつくらないよう努めるべきではないだろうか?そうすれば自ずと子供達もそれに倣うはずだ。
えっ、一人ぼっちになる側にも問題があるって!?
それって、いじめられる方にも問題があるっていうメチャクチャな暴論と同じだと思うのですが?如何?
コメント