家族の定義

家族

 今日、コメダ珈琲で1人読書をしていた所、恥ずかしながら“オナラ”をしたくなった。トイレに入り鍵をかけたのだが、ドアの向こうからは他のお客さんの声が聞こえる。便座に座りながら私は、「嫌だな。音がしたらドアの向こうまで聞こえちゃう。どうしよう・・・。」と結局オナラをせずにトイレから出てきた。(下品な話でごめんなさい。でもまあ、最後まで読んでください)

 結局“スッキリ”出来たのは自分の車に乗り込んでドアを閉めた後だった。「いや~我慢してよかった(笑)。」何かと突っつかれやすい昨今だ。もしオナラの音が伝わっていたらどうなった事か?これが私が子供だった昭和の日本なら、なんなく笑って済んだ事であろう。あれから30年。いつの間にか、この国は“ツン”と澄ました、よそ行きの顔をした国になってしまった。それが良いのか悪いのか?私にはわからない。

 ただ、卑近な例ながら私自身の話でいえば、家に帰ればそれは、つまりオナラは自由だ。オナラ1つで目くじらを立てるような家庭ではうちは、ない。もっとも私自身は品行方正な人間なので、自分の部屋以外はトイレに限ってオナラをする。

 ただその際、正直、音に関してまでは責任が持てない(笑)。つまり、トイレに鍵さえかけておけば、あとは音が漏れようがどうしようが構わない。そういうスタンスだ。家族も何も言わない。でもそれで本当に良かった。“家の中”までオナラの音にピリピリするようだったら息苦しくてしょうがない。

 ふと、よその家庭はどうなのだろう?と言う問いが頭をよぎった。静かにやれ!とたしなめるか?あえて無視するか?それとも、もう反応すらしなくなってしまっているか?オナラをどう扱うか?それが各々の家庭の個性なのかもしれない。

 私などは、先に述べたように「くっさいなあ!向こう向いてやって!(笑)」。と互いに笑いあえるような家庭で育ってきた。それが我々にとっての家族の定義だったのかもしれない。今ふりかえるとそれで良かった。いろんな家族があっていろんな定義があってもちろん良いのだが、時代がどんなに変わっても、うちの中くらいはそうであってほしい。と思う。それが“うち”と言うものだから。

 そんなわけで、車を走らせながら「たかがオナラされどオナラだなぁ~。」と1人感慨にふけった1日だった。

 さて、皆さんの家庭はオナラに寛容ですか?それとも非寛容?せめて、小学生のうちくらいオナラに寛容な家庭を築けるといいですね!それが家族ってものかもしれません。

ではまた!

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