失敗を次に生かす文化

人生に対する姿勢

 最近、料理に興味を持つようになった。昨日はマ・マーの『アサリコンソメ』と言うパスタのスープを買ってきて、それに市販の冷凍されたアサリを足して、温めてパスタにあえて食べた。母は「とってもおいしいよ!」と言う、それに対し父は「こんなの味が薄い。」と文句を垂れる。私が実際に食べてみると、どうも父の言うとおり味が薄い。

 何故かな?と考えてみたところ、思い当たる節がある。冷凍のアサリを混ぜて食べたことだ。どんなにキッチンペーパーでとっても、やはり、冷凍のアサリからは水分が出る。そのため味が薄くなってしまったのだ。冷凍のアサリを入れのならば、それを考慮して、味付けを濃くしなければいけなかった。

 母は「おいしいよ!」と言ってくれたが、それはどうも私への気遣いだったようだ。我ながら情けない。母に感謝するとともに、「でもそれではいけない!」とも思う。もしこれをおいしいと勘違いして、なぜ味が薄まってしまったのか?を考えなければ、次食べる時も、味が薄いままだからだ。その意味で父が正直に「味が薄い!」と言ってくれたのは厳しいようで、長い目で見た場合正解なのだ。

 何故こんなことをブログに記したかと言うと、「これって日本の組織全般に言えることなのではないか?」と分不相応にも思ったからだ。責任の所在を明確にせず、なんとなく誰も傷付かないように、まあるくおさめる。いかにも女性的。いかにも日本的対処法だ。誰も傷つかないよう取り計らうことは、やさしい。とてもやさしい。でもそれでは次に生きない。こんな言い方はあまりしたくないが、それではいつまでたっても【勝つ組織】にはなれないのだ。

 責任の所在を明確にし、なぜ失敗したかをとことん突き詰める。そうした姿勢こそが次に生きる。つまり勝てる組織運営につながるのだ。

 ただ勘違いしないでほしい。何も失敗を責めろと言っているのではない。失敗大いに結構!失敗したということはチャレンジした証明だからだ。チャレンジしなくては何も始まらない。大切なのは一回や二回の失敗で諦めてしまうのではなく、その失敗から何を学ぶかだ。

 そんなわけで、この国も早いところ【失敗を恐れる文化】から【失敗を許す文化】・【失敗を次に生かす文化】にシフトチェンジする必要があると私は思う。

 最後に。ハイロウズの楽曲で『日曜日よりの使者』がある。私は割とこの歌が好きでよく口ずさんだのだが、その歌詞に

~適当な嘘をついて その場を切り抜けて 誰一人 傷つけない 日曜日よりの使者~

とある。今だってこの歌詞が好きだ。でも、それだけでは駄目だと思う。たとえ失敗したとしても、そんなこと屁とも思わない強いメンタルが必要だし、もし傷ついてしまったならみんなでケアすればいい。ただし、失敗自体を無かったことにしようとか、嘘ついて誤魔化そうとか、それでは駄目だと思うのだ!なぜ失敗したかをトコトン突き詰め、次に生かす!それこそが、本当の意味での成功への近道だと思うのだ。

ではまた!!

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