いきなりだが、私は品格とか家格なんて言葉が大嫌いだった。いや、今でも嫌いだ。でも、この年になってようやくと言うべきか?そういった言葉が存在するにはそれなりの理由がある事が解ってきた。どういうことか?以下に述べる。
最近、ある人に出会った。その人ははっきり言って品がいい。争いごとになりそうならまず自分が譲る側になるし、不当に貶められている人がいれば、その人の側に立つ。たとえ周囲を敵に回しても。それでいて、権高なところはないし、誰にでも笑顔を絶やさない。
一方で、人が大切にしているものだからこそ奪ったり、汚したり。また、平気で人の陰口を言ったり、裏切ったりする。そういう輩がいるのもまた事実だ。
つまり人には品格と言うものがあるのだ、実際問題として。最近になってやっとそれが解ってきた。少し遅すぎたというべきか?
一体何に起因しているのだろうか?と考えたのだが、やはり、教育なのだと思う。愛情を十分に注がれて育った家の子供はきちんとしている。無論、ここで言う愛情とは単にお金をかける事ではない。優しく見守り、褒めるべきを褒め、𠮟るべきを𠮟る。それにはものすごい時間と労力がかかる。決してお金の問題ではない。
誤解してもらっては困るのだが、何も私は自分の品がいいとか、きちんとしているとか言っているのではない。私は極々ありきたりな普通の家で育った、普通の人間だ。品が良いなどと言えたものではない。鼻だってほじる(笑)。
ただ、そんな私にも過去に「この人とは友達にはなれないな!」と言う人物がいて、ふたを開けてみたらやっぱりその人には友達らしい友達は一人もいなかった。なんて事があった。それもまた事実だ。
思うに、友達付き合いもそうだが、こと結婚に関してはこの品格って奴がそれこそ大きくモノを言うのだろう。自分より品が良すぎる人と結婚しても、品が悪すぎる人と結婚しても、お互いの為にならないのではないか?自分と同等か?もしくは背伸びせずにも手が届くくらいの人と一緒になるのが、お互いのためなのだろう。と、そんな風に思う。結婚って難しいものなのだ。と想像する。
さて、皆さんはありますか?品格?そんなものいらねーよ!と毒づいているそこのあなた、本当にそうですか?ないよりはあったほうが遥かにまし!と言うのが私の見解です。
ではまた!
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