可愛い

友人

 「たとえドラマにしろ、こんなシーンが普通に流れるんだからアメリカの国民性って単純で明快なんだろな!」
 

 今日、友人の車の中でYouTubeを見ながらの会話。動画と言うのは「suits」と言うアメリカのドラマで昇進を告げられた人物がノリノリで社内を闊歩するシーン。余程昇進の知らせが嬉しかったらしく、まるでダンスを踊るかのような足取りで社内をステップ踏みながら歩んでゆく。時代的にはずいぶん前、それこそ昭和の話になるが(『課長 島耕作』弘兼憲史著)でも「アメリカ人は非常に明快な価値観を持っていて、いい意味で人が良い」とあった。このドラマでも同様の事が言えるらしい。私の言葉を受けた友人が「うん、可愛いよね。」と答えた。後部座席に乗っていた別の友人は「そうそう解りやすいってのは良い事ですよ!」と相づちを打った。私は「なるほど、可愛いか・・・。」と友人の言葉に妙に感心してしまった。

 無論、日本人だったらこんな喜び方はしない。周囲の目を気にして心の中にとどめておくはずだ。それがこのドラマのアメリカ人は違う。喜びを臆面もなく体いっぱいで表現する。感情を堂々と表現する姿が私などにはまぶしい。それを友人は「可愛い」と形容した。そうか可愛いか・・・。私には「可愛い」と形容した友人の表現はとても大人に想えた。同時に「可愛い」と「美しい」の違いって今更ながらにこれなんだろなと思った。可愛い=解りやすい・手のひらに収まる。美しい=奥が深い・知的で近づきがたい感じ。という図式が頭の中に出来上がった。そもそも「可愛い」って「愛すべき」って事だもの。愛すべき人物とか愛すべき人柄って言葉は、その人物なり人柄が理解しやすいってことでもあるんだ。何考えてんだかわからない人物を愛することはできないもんな。とも思った。そう考えるとアメリカって国は本来解りやすい愛される国だったのではないか?良くも悪くもまだまだ国家としての歴史は浅い。その意味で子供の国なのかもしれない。でもその子供が知識や力をもってしまった。そして、そもそも子供ってのは残虐だ。その辺りにこの国の抱える問題点が見え隠れするのは私だけだろうか?などと考えているうちに目的のショッピングモールについた。

 さて、私自身は一体どう思われているんだろう?はたして「可愛い」のだろうか?と思ってモール内を軽くステップを踏んで歩いてみた。すると二人から「他人の振り、他人の振り」と避けられてしまった。いや~国家レベルにしろ、個人レベルにしろ、解り合うって難しい。(笑)

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