TVを見ていると、今流行りの?【何とか坂】という一連のアイドルが【卒業】と言うフレーズを頻繁に使う。「脱退とどこが違うんだよ?単に年食っただけだろう!」と思っていたのだが、単にそういうものでもないらしい。
義務教育に始まり、我々の多くは【卒業】を繰り返して今に至っている。無論、どんな分野であれ、そこに能力差はあるもので「1を聴いて10を知る」人もいれば、その逆もいる、中には落第・留年と言う事態だってあり得る。
私などは後者の典型だと思っていたが、私を指して「長谷川さんは1を聴いて10を知る人だからな。」などと言ってくれる人もいる。まあ私の事はどうでもよいのだが・・・。これは何も学校に限った事ではない。仕事であれ、人間関係であれ、アイドルであれ、学ぶべきものを学んだら、人は【卒業】すべきなのだ。でないとマンネリ化してしまう。
かの文豪、夏目漱石もある時期以降はずっといわゆる【三角関係】をテーマにした文章を書き続けている。主人公が「こころ」では友人の想い人を、「門」では友人の妻を好きになってしまう。そういう類の文章だ。これを指してロマンチストだという事もできるが、単に夏目漱石と言う人は【卒業】できなかっただけではないか?そう私などは思う。
もっともこれは結婚という制度と深く関係した問題なのだろう。私自身は結婚したことが無いのでそのへんは何とも言えないが・・・。
何にせよ、人はそこに学ぶべきものが無くなったら【卒業】すべきなのだ。先にも述べたが、でないと停滞してしまう。停滞はこの高度に発展を続ける資本主義社会において、この際悪である。
ただ、かく言う私にも【卒業】できないものがある。酒とタバコと深夜に食うカップラーメンがそれだ。冗談はいいとして、真面目な話、私にはやはり【卒業】できないものがある。それは思考・分析・評価し、それを外在化することだ。つまりはこのブログである。もうちょっと格好良く言うと、私個人のこれは問題ではない。われわれ人類は【真理の探求】と言う行為からは永遠に【卒業】出来ない。してはいけないのではないだろうか?『「チ」地球の自転について①~⑧』(魚豊 小学館)などを読んでいて心底そう思う。
考えること、知ることをやめるわけにはいかないのだ。我々が人間である以上、それは自明だ。そしてそれを口に出す事、つまり外在化する事もやはり必要なのだ。そうすることによってのみ知の営為がより高みを目指せるからだ。
少し話は飛躍してしまいましたが、皆さんはどうですか?然るべき時が来たら【卒業】できますか?俺はずっとここに居たいんだよ!と言う人もいると思います。でもそれは、もしかすると、十二分に分にお年を召された方に限られた物言いなのかもしれません。まだまだご自身を若いと思う皆さんは是非学び続けてください。そして、学び終えたと思ったならぜひ【卒業】して次へと歩を進めてください。そうすることが皆さん自身の人生を、ひいては社会全体を豊かにすると思うのです。
ではまた!
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