高校2年の時、同じクラスで席の近かったMという奴がいた。彼は事あるごとに私に対抗意識を燃やした。やたらと私を意識して、聞こえよがしに私の事を小ばかにしたり、くだらない嫌がらせをしたりしてきた。聞けばどうやら母親同士が知り合いだったらしい。そのこともあってかMはやたらと私に執着した。要はコンプレックスである。私はめんどくさい奴だなあと思いつつ、表面上は受け流していた。でも、彼の嫌がらせが日ごとにエスカレートしてくると、さすがに私も我慢ならなくなっていった。ここで取っ組み合いのけんかでもおっぱじめればよかったのだが、私はそうはしなかった。どうしたかと言うと、私も彼の事を下に見始めた。見下したのである。Mは私に勝ちたくて仕方なかったのだ。そして私はそういう彼を見下した。1つには鬱陶しかったというのもある。結局3年になってクラスが分れるまで、そのいや~な関係は続いたのだが・・・。
最近になって私は彼とのこの不毛極まりない関係を何とかできなかったものかと思い起こす。彼は私に勝ちたくて仕方なかった。嫌がらせは次第にエスカレートしていく。その嫌がらせがしつこくなればなるほど、私は彼を見下した。私が見下せば見下すほど、彼はその暗い執念をより一層強固なものとした。不毛な循環である。
ただ、最近読んだ書物にこうあった。
『自分はハンディキャップを差別するやつには人の痛みは解らないと、いつもそう思っていた。だから、そういうやつらに、俺は勝っているって。だけど、そう思うことも差別だったんだ。だって、きみも心のハンディを抱えて苦しんでいたんだから。勝ちも負けもないんだ』(光岡真理 『シャイン♪キッズ』)
「心のハンディ」。Mもそれを抱えて苦しんでいたのだ。だからと言って私が同情する必要はないのだが・・・。私は彼が私に勝ちたくて、勝ちたくて仕方なかったように、私自身も奴ごときより、はるかに私のほうが勝っている。と感じて見下していた。つまりは同類だった。
私がこんな時によく思い起こすある言葉がある。
「勝つことばかり考えていると、人は際限なく卑しくなるね。」
ああ、俺も結局「Mなんかより、俺のほうがよっぽど勝っている。」そう思って見下していた。本来勝ちも負けもないのに・・・。
そんなわけで、最近思うのはスポーツや勝負事はいざ知らず、普通に生活していくうえで「誰かに勝ちたい。」なんていう気持ちが生じてくるうちは、まだまだ半人前なのかな、という事だ!
皆さんはどうですか?勝ちたいですか?一方で私は「心のハンディ」なんて感じる必要のない社会がくればいいなぁ~と思います。でもそれは人間が集団で生活する生き物である限り、避けては通れない道なのかもしれません。そんな時、何よりも、誰よりも、まず自分自身の心を鍛えねば!とも思うのです。大人になるってそういうことなのかなぁ~とも思うのです。
ではまた!
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