凡事徹底

教育

 凡事徹底という言葉がある。当たり前のことを徹底的にやるという意味だ。私がこの言葉を知ったのは、ある甲子園出場チームがテーマとして掲げていたからだ。そのチームでは、毎日の挨拶をきちんとする事。靴を脱いだらきちんと揃えておく事。等々、実に日常生活の隅々までこの凡事徹底が行き届いている。

 正直、私はこの言葉があまり好きではない。というかむしろ心の中で軽んじていいた。何故って、面白くないからだ。しかも、面倒くさい。脱いだスリッパを次に履くとき履きやすいようにしておく事に一体どれほどの意味があるのか?そう心の中でバカにしていた。でも、40代も後半になってようやくと言うべきか?この言葉の重みがわかってきた。少し遅すぎたというべきか?

 話は移るが、私が応援している高校のサッカー部は強い。毎年、冬の選手権でベスト8に入る。下手の横好きで試合をよく見に行くのだが、彼らの強さの理由の1つとして攻守の切り替えの速さ、つまりボールを奪われてからのプレスの強度があげられる。彼らのプレスは速く、激しく、そしてしつこい。さすがに後半20分を過ぎると疲れが見えてくるものの、それでもそのプレスの強度には舌を巻く。このような速く、激しく、執拗なプレスを90分間やり抜くためには無論、強靭な持久力が不可欠だ。そしてその持久力ばかりは走り続けることによってのみ、身につく。つまりそれだけ苦しい中、彼らは走り続けてきたのだ。まさに凡事徹底だ。

 何が言いたいかと言うと、面白い練習だけやっていたのでは、あの強さは手に入らないと言う事だ。当たり前の事、つまらない事、面倒くさい事、つらい事を徹底的にやることによってのみ、身につく強さと言うものが確かにある。そしてこれは我々の社会生活にも言えることだ。朝起きたら顔を洗う。挨拶をする。ゴミを出す。週に一度は部屋の掃除をする。そういった凡事を徹底することによってのみ得られる事がきっとある。

 つい先日、私はトイレから出る時、「使った後のスリッパを次の人が履きやすいように揃えておけ!」と父から叱られた。確かにスリッパを次の人が使いやすいように揃えておくのは取るに足らぬ事だ。でもそういった些細な、取るに足らない事の積み重ねが、他人に対する気遣いや思いやりの心を育んでいくのではないか?そして、お前にはそれが足りない!あえて父が私を叱ったのは私にそう言いたかったからではないか?

 父にはこれと言った才はないし、だからと言って器も人並だ。でもこう言った事に関しては実にきちんとしている。もしかすると私は「自分には才が有るのだから、こんなチマチマした事に気を患わせている暇はない!」と言う、とんでもない勘違いをしていたのかもしれない。どうやら私は大切な事を置き忘れたまま年を食ってしまったらしい。冷や汗が出る。礼儀作法とは言わないまでも、最低限のマナーは身に着けねば!

 そんなわけで、この文章をお読みの皆さんはできていますか?凡事徹底。何から何までとはいかなくても、人として当たり前の事が当たり前に出来るといいなと思います。今日からトイレのスリッパはキチンと次の人のために揃えておこう!そう思った次第です。(笑)

 ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました