「そんな事も知らないの?」と言われることが最近多い。どうも私は世間知らずらしい。先日も「カーツ大佐(地獄の黙示録)知らないの?」と友人に言われた。映画『地獄の黙示録』は見たことがなかったので正直に「知らん。」と答えた。変に知ったかぶりをする必要はない。「所詮、知識とは相対的なものである」というのが私の持論だ。『地獄の黙示録』については熟知しているかもしれないが、例えば私の好きなマンガ『不思議な少年』(山下和美・講談社)について友人は全然知らない。若しくは究極的には私の人生について私以上に知っている人間は(物心つく以前は別として)いないわけで(いたら怖いが・・・)その意味で知識とは常に相対的なものだ。鍵となるのは誰の土俵で話をしているかという事。自分の土俵で話をした方が当然知識は多くなるわけで、より重要なのは誰が会話の主導権を握るかという点だろう。何にせよ、知識比べなんてナンセンス極まりない行為だ。むしろ大切なのは会話を「楽しむ」視点であり、「俯瞰」する視点だと思う。
話しは移るが、職場の学童には砂場がある。見ていると面白い。先にいる子が砂山をつくっているとする。あとから来た子が取る行動としては
① 一緒に作る
② 別の山をつくる
の2つに大きく分けられる。子供とは尊いもので、相手より大きな山をつくろうとか、相手の山を壊してしまおうなんて発想はまずない。むしろほとんどの子が一緒になって大きな山をつくろうとする。「会話」を楽しむとは、この一緒になって大きな山をつくろうとする行為だと思う。会話の上手な人はこの事をよく解っているのだ。
そう言うわけで、会話の上手な人とは常に会話を「俯瞰」している。自分たちの会話が①のような共同作業になっているかどうか?を気にしながら会話しているのだ。そのような視点を持つことで会話が楽しいものになるし、深みが増す。そうなのだ。そもそも会話とは何か楽しい時間、おもしろい時間を共有する為の共同作業なのだ。その事を踏まえて、私も会話上手になりたい。それがコミュニケーションを、ひいては人生を豊かなものにするからだ。
先に述べた『地獄の黙示録』特別完全版202分バージョンは半分見てどうも面白くなかったのでツタヤに返してしまった。悪く思うなよY君!
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