私事で恐縮だが、私はめったななことでは人の陰口を言わないようにしている。また、肌の色や、使う言葉、育ちや学歴で人を差別してはならない、いつもそう自己を戒めている。
でも、子供のころからそうだったわけではない。学生時代など、時には陰口も言ったし、人を差別もした。ずるい事もやった。
それがいつから、このようになったか?やはり教師と言う職業についてからだ。今更その学校でのことを蒸し返すつもりはないし、もう済んだことなのだが、私はその学校で随分と陰口を言われた。それはまだ学生気分の抜けない若輩者の私に酷くこたえた。
それ以来、自分は決して人の陰口は言うまいと心に決めた。同時に人の上に立つもの(教師)として区別・差別をしてはならない。と厳しく自己を戒めるようになった。そのころ身についた癖は今になっても抜けない。これが今になって困ったことになっている。
教師だった頃はそれでよかったかもしれない。でも、今私はごく普通の社会人だ。組織の一員として、末端として職務に励まねばならない。もう、生徒40人を従える身ではないのだ。時には愚痴もこぼすし、陰口はたたく。差別だってしてしまう。それでいいのだ。何も組織の長になったわけではないのだから・・・。
それなのに、未だ教師を務めていたころの癖が抜けない。陰口を言ってはならない。区別・差別をしてはならない。そう自己を厳しく戒める。英語で言うと、マスト・ノットの連続だ。
そうして【~ては、ならない!】で自己を戒めてばかりいると、ふとした瞬間、何かの拍子に、それまでいつも戒めているガスが吹き出る。それはまさに吹き出るといった感じだ。そして、それは他者に伝わってしまう。以心伝心と言う奴だ。
つい先日、そのことが原因で私は珍しく自己嫌悪に陥っていた。そんな折、相田みつをさんの『人間だもの』を思い出した。
そうだよな。人間だものな。たまには陰口も言うし、肌の色で人を差別しちまうことだってある。そりゃあ、陰口なんて言わずに済むならそれに越したことないし、肌の色で人を差別なんてしたくない。でも、人間だもの。そうしちまう時だってあるよな。
私は相田みつをさんに救われた思いがした。相田さんはまだご存命なのかな?と思って調べたら、1991年にお亡くなりになっていた。思わず手を合わせた。
そんなわけで、明日からはもう少し気楽に生きて行こうと思った次第だ。美しく生きるのもいいけど、ちょっと疲れちゃったよ。と心の中でつぶやいた。
皆さんはどうですか?私のように感じたことってありますか?何事もほどほどに。そう相田さんから教わった気がします。相田さんありがとうございます。また何かの際には相田さんの言葉に頼る時があるかもしれません。その時はどうぞよろしく。
ではまた!
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