今日、友人と三人でお茶をした。私と同い年の友人が言う事には、彼は最近、学生時代懇意にしていた女性と昼食を共にしたらしい。彼女が仕事で前橋に来るというのでノコノコト出かけて行ったのだ。その女性は友人と同じ文学部哲学科の出身で、卒業と同時に大きな印刷会社に入社し、数年後、やはり同じ哲学科の先輩と結婚し二人の子を儲け、それ以来ずっとその会社に勤務している。友人が言うには20年ぶりに会った彼女は相変わらず綺麗だったが、なんか言う事がメチャクチャ正論だったとの事。若い方の友人が「正論を言うんだからいいじゃないすか?」と応じると、彼は「いやいいんだけど・・・。なんかあっちは勝ち組、こっちは負け組って言うか・・・。」と言葉を濁した。私は「うん。わかるよ。正論ってのは勝ち組が吐く言葉だ。音楽活動に挫折して、その後も紆余曲折に紆余曲折を重ねて今に至っている自分と比べてモヤモヤが残ったんだろ?」と聞くと友人は「まあね。ただ、その結婚相手ってのが、学生時代はレッドツェッペリンのジミー・ペイジをメチャクチャ意識した格好して反体制を気取ってて、でも、いざ就職活動の時期になると髪をきれいに切りそろえてネクタイ締めて公務員になった男なんだよね。今は音響に凝っているらしいんだけど・・・。」私が「ふむ、まあ順風満帆な人生だね。」と応じると彼は「まあね」と答えた。帰りの車の中で彼が「まあ、あれだよね。彼女は成功例、こっちは失敗例だよな。」とまだ引きずっている。見かねた私は「その結婚相手の先輩ってのはあれだろ?ジミー・ペイジを気取りつつも、いざ就職となると上っ面の反体制を脱ぎ捨てて公務員になったっていうんだろ?本物か偽物かって言ったら滅茶苦茶ニセモノじゃん。こっから先はひょっとすると貴方に対して失礼かもしれないけど、そのニセモノを伴侶に選んだって彼女もやはりそれなりの人だったんじゃないか?貴方が気落ちする必要なんてないと思うが・・・。」と言うと彼は「でも彼女が今、銀行に5000万貸してくれって言ったら銀行は貸すだろうけど、俺が言っても絶対かさないだろうな・・・。」私は「まあそりゃそうだな(笑)何にせよ、学生運動が全盛だったころ、いざとなると、そのほとんどが髪切ってネクタイ締めてそれまでの事がなかったかのように就職活動にいそしんだって。村上春樹も『ノルウェイの森』の中でそう言う奴らを馬鹿にしてたよ。要するに上辺だけのファッションだろ上辺だけの!」すると若い友人が「ファッションって内からにじみ出るもんなんですかね?それとも外から浸みこむもんなんすかね?とにかく、その人は外から上辺だけ浸みこんだんじゃないすか?」とまとめた。その事について二人と別れてから考えた。ファッションか。もしかすると内からにじみ出るものと外から染み入るものが共鳴した時、それはその人物を構成する重要なファクターになり得るのかもしれない。
帰宅してから母にその旨を話してみると「何言ってんだい。二十歳やそこらで一体何がにじみ出るってんだい。にじみ出るものなんかありゃしないよ。そんなこと言うのは人生折り返しを過ぎてからだよ。だから若いうちは必死に頑張るしかないんだよ!」との事。さすがに70年以上生きている人の言には重みがある。こういう時、年長者を重んじないわけにはいかない。自然と頭が下がった。私自身、二十歳の頃なんてビームスの服を着ている奴がカッコよく見えて仕方なかった。今思うと馬鹿馬鹿しい限りだ。母の言葉を友人に伝えてやりたい。二十歳かそこらの時、貴方は貴方なりに必死に頑張ったんじゃなかったのか?と。そして、今も奥さんと二人三脚で娘さん二人を必死で育てているんじゃないのか?と。それは決してニセモノなんかじゃない。まぎれもない本物なんじゃないのか?と。例え、5000万借りられなかったとしても。例え、持ち家が奥さん名義だったとしても。貴方がそんな風に自己否定していたら、なんだか俺までみじめな気分になっちまうじゃないか?と。
そんなわけで、今日、この文章は半分はその友人に向けて書いたようなものだ。上手に描いたニセモノよりは、多少下手でもいいし大雑把でもいい、自分で描いた本物の方がよっぽど価値あるものに私には思えるのだ。もしかしたらこれは私自身に対するエクスキューズに過ぎないのかもしれない。でも、それでもいい。とにかく私はそういう人間だし、友人にもそうあって欲しい。そうでなくては何年も友人づきあいしている甲斐がないように思えるのだ。
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