ダイヤモンドの功罪

面白い! 人生に対する姿勢

 先日書店で『ダイヤモンドの功罪』というマンガを立ち読みした。主人公の少年はスポーツ万能なうえに研究熱心。そして一生懸命でもある。彼の抱えている悩みは、彼が新しいスポーツを始めると、それまでいい成績を収めていた先達を軽く追い越してしまうこと。追い越された側は、やりどころのない挫折感や嫉妬心をいやおうなしに抱いてしまう。そしてぶつけてしまう。主人公の少年はそれが嫌で、どのスポーツも長続きしない。誰も傷つけることなしに熱中できるスポーツはないのか?と悩んでいたところ、彼が出会うのが、ある弱小野球チームなのだが・・・・。

 読んでいてなんだか身につまされる気がした。私にはこの漫画の主人公のような才能はない。ただ研究熱心で一生懸命なところだけは彼とそっくりだ。マンガでは主人公の少年を次のように評している。曰く

「彼は勝負事には向かない。性格的に優しすぎる。」

と。他者を踏み台にしてでも自分が勝つ。そういう強さ、もしくは厚かましさ、傲慢さが主人公の少年にはないのだ。「なんだか俺みたい!」と《厚かましくも》私は目頭が熱くなった。(笑)

 そうなのだ、こちらは『メダリスト』というマンガにある表現だが、「人の上に立つ覚悟のある者だけがメダリスト足りえる」と。どうも、この『ダイヤモンドの功罪』の主人公の彼にも、恥ずかしながら私にもある種の覚悟が足りていないのかもしれない。

 何かの才に秀でている場合、その人物がとりうる選択肢は究極的には2つしかない。他者を威圧してでも自分のほうが上だと認めさせるか?もしくは、嫉妬され排除されるか?もし3つめがあるとすればその才を隠し通すかだ。どうも3つ目は難しい。どれだけ必死に隠しても現れてしまうのが才だからだ。

 このあたりのテーマは東村アキ子先生の『主に泣いてます』でも扱っている。さて、この『ダイヤモンドの功罪』ではこのテーマをどう結論付けるのか?今後の展開が楽しみである。

 主人公の彼が彼らしく輝ける場所が果たしてあるのだろうか?えっ私?それを見つけるのが私の人生の一つのテーマでもあるのです。でも、もしかすると自分を変えるほうがはるかに安上りかも?なんて感じている今日この頃なのです(笑)

 PS.なんだか偉そうでごめんなさいm(__)m

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