ゲームチェンジャー

歴史

 ここ数日、暇にかまけて小林よしのり先生の『ゴーマニズム宣言』を読んでいる。『民主主義という病』を読破したところだ。小林先生曰く「グローバリズムとは要はアメリカイズムであり、それを(アメリカ的価値観や制度を)地球規模に広めようというのは、各国の歴史的、民族的差異を無視したものに過ぎないと。

 おっしゃる通りだ。植民地化され、直線を引かれてそれを国境とされた、そのため複数の民族、複数の言語がせめぎあう国家でアメリカ的価値観であるところの民主主義が根付くのは確かに難しい。価値観や制度の押し売りは確かに良くない。

 でもなぁ~。と私は思う。ゲームチェンジャーという言葉がある。【ゲームのルールを変える者】の意だ。「ゲームチェンジャーはいつだって強者なんだよな。」と私は思うのだ。

 どういうことか?大富豪と言うトランプのゲームがある。このゲームがいつ頃生まれたかは知らないが、それを如実に物語っている。もしくは冬のスポーツであるジャンプ複合?だったけか?の例からもわかる。つまりゲームのルールを自分の都合の良いように変えてしまうのは強者にとってごくごく当たり前の戦略なのだ。汚いと言ってしまえばそれまでだが、それが現実なのだからしょうがない。強者の新たに定めたルールの中で上位を狙うしかないだろ。と言うのが私の考えだ。悲しいかな、それが現実なのだから。

 もう一つ言えることがある。それは歴史上【人は便利には勝てない】と言う事実だ。羅針盤、活版印刷術、映像技術、コンピューター、インターネット、AI。歴史を鑑みるに人は【便利には勝てない】のだ。言い方を変えれば、歴史に進歩はあっても退化はない。そうせざるを得ない何らかの特別な状況になる場合を除けば。つまり、アメリカ的価値観が社会を便利にし続ける限りにおいては、アメリカイズムつまりグローバリズムは進展してゆくのではないだろうか?

 と、この話を父にしてみたところ「お前はそんなこと言ってないで働け!」と。やれやれ、悲しいかな、我が家のゲームチェンジャーは父であるようだ。昭和的、家父長制度が我が家ではいまだ息づいている。私はなんだかほっとした。

 さて、小林先生は何と仰るだろうか?私は不勉強だから、もし失礼があったら平に平にお許しください。また、この文章をお読みの皆さんはどう思われますか?えっ、そんなこと考えてる暇ない。そうですよね。いや~暇って、無職っていいもんです(笑)。

ではまた!

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