先日友人とかわした会話。
私「マウントを取ろうとする行為の背景にはコンプレクスつまり劣等感があると俺は見るが如何?」
友人「まさにその通り!」
私「俺の知人で、その人も俺同様ドロップアウトしたクチで、今小さな会社に勤めてんだけど、その人、高学歴過ぎて周りから浮いちゃうんだって。」
友人「ふむ。ありがちな話だね。」
私「その人は普通に働ければいいと思ってんだけど、周囲は常にその人にマウント取ろうと躍起なんだって。その人は、正直どうでもいいんだけど面倒くさいって言ってた。」
友人「まあ、よく解る話だな。」
私「ここから導かれる結論は、人は自分と似たもの同士、お互いに劣等感やコンプレクスを抱かずに済む同士の方が付き合いやすいという結論だ。如何?この論理を推し進めてゆくと社会には「層」なり「分断」なりが生じてしまう。悲しいけどそれがリアルだ。そしてもっと悲しいのはその「層」なり「分断」なりを生じせしめるのは、より下の層に属する側の劣等感情だという点だ。悲しすぎるこれがリアルなのか・・・?
友人「似たもの同士と言うのは確かにつきあいやすいだろうけど、多様な議論が生まれにくいという点では正しくはないかもしれない。生い立ちとか教育の違いもあるから一概には言えないけど、多くくりではそうだろうね。」
私「ふむ、似た者同士の方が上手くいくか・・・。だよなぁ~。ところでアンデルセンってすごいよね。今までの議論を全て『みにくいアヒルの子』で包括している。」
友人「うん、そうだね。中国の古典とかも読んでみると凄いよ!人間の本質を見抜いて書いているよね!昔の人は洋の東西を問わず、ちゃんと見抜いてたってことだね!」
私「うん。そうだね~。敢えて人間の本質を見抜くのを避けるのが、現代の時代性かなあ?」
友人「日本だけかもよ。」
私「うわっ!非常にきわどい点を突いたな!(笑)それはピンポイント爆撃だよ!さすが!」
友人「よせやい!ところでハセガワの職場はどうなの?」
私「お陰様で何とかやってるよ!子供達がいるからね。救いが無くはない(笑)。」
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