「美」再考

 先日来「美」について考えている。私自身が“現時点までに”確立した「美」について述べたい。“現時点までに”と断ったのは、時間の経過とともに「美」の定義も変わるからだ。多くの芸術家や作家、クリエイターと呼ばれる人たちの代表作はその初期に集中している。それまでの人生で模索してきたテーマを初期の作品に結晶化させるからだ。その後新たなテーマを開拓して中期、後期の代表作を残す芸術家もいれば、初期の代表作で“出涸らし”になってしまう作家もいるし、“焼き増し”で終わってしまう作家もいる。田辺聖子さんはその夫(事実婚で4人のお子さんの父親だった)から、「僕と結婚してみい、おもろい小説ぎょうさん書けるで!」とプロポーズされたらしい。事実その後、田辺さんの書く文章はテーマに広がりを見せている。環境の変化により新たなテーマが、新たな「美」が見えてくる。よく解る話だ。そんなわけで、現時点における私なりの美意識が凝縮・結晶化した作品を探してみた。やはり、初めの頃に書いた文章だった。以下掲載。

愛わがままに
 
大学を卒業して就職浪人していたころの話。同じく就職できずに大学院に進んだ友人と仙台市内をドライブしていた。市内で一番大きな四つ角に停車した際の会話。私が「こいつはまさにヒューマンスクランブル!(『人間交差点』弘兼憲史著より)。」
と、つぶやくと、
「僕らは今日も信号待ちさ。」
と、友人。
今思い返すとなんと親不孝なダメ学生だった事か。とても両親には聞かせられない。ただ、この友人、単なるダメ大学院生ではない。ドライブつながりで別の話もある。ある日、市内をドライブしていたら、道端に花束が手向けられていた。それを見た私が
「自己満足だな。」
と、言うと、友人はすかさず
「事故だけにな。」
と、答えた。私は、
「そうそうその通り!」
と思わず口走った。自分でも無意識のうちに口をついた言葉に対し、友人が間髪もおかずに返してきたので驚いた。
こいつの言語中枢はどうなっているんだ?
 その後どういうわけか、友人も私も他人を指導するような立場になった。ある時、故あって、この友人とのやり取りを授業で話したことがある。その際、
「その花を見て私は『〇〇満足』と言ったんだ。それを聞いた友人は『まさに〇〇だけにな。』と言った。さて〇〇に入る同じ音の二文字は何だかわかる?」
とクラスに問いかけた。周囲がきょとんとする中一人だけ
「わかった!《ジコ》だー」
と答えた生徒がいた。ある意味、鋭すぎる言語センスだ。鈍すぎるのもなんだが、鋭敏すぎると自らを傷つけることがある。普通の幸せを手に入れて欲しい。今思うと十代の生徒たちに対して厳しすぎる認識を強いたのかもしれない。
「人は死んでしまえばそれまでで、それに花を手向けるのは結局のところ残された者の自己満足にすぎない。」
真理を悟ったような気になっていた。なんと傲岸不遜な態度か。ただあのころ我々は若かった。というより幼かった。あの時の事故の犠牲者と遺族の方々にはこの場を借りて心からお詫びいたします。申し訳ございませんでした。
それとは別に歴史の授業としては一つ疑問が残る。
「なぜ、いつごろから人は死者に花を手向けるようになったのか?」
それまでは死んだら終わりだった。泣いてもしょうがなかった。しかしいつの頃からか残された者はそれに納得できなくて、花を手向ける事で自分の気持ちにけりをつけたのだろう。その意味で人は《わがまま》になった。
しかし、この《わがままさ》が人の人たる所以なのではないか?もしかすると、そのころ(およそ二十万年前)《ヒト》は《人》になったのかもしれない。そんなことを考えた。あのころ友人も同じような事を考えていたのかもしれない。でなければあんなにさらりと返せなかったろうから。・・・深い奴だ。

~愛わがままに~

 この短い文章に私の美意識が凝縮・結晶化されている。編集さんのお力をお借りした(はてなブログに載せた文章はもう少し長いものでした。)とはいえ、よくこんな洗練された文章を書けたものだと思う。自画自賛(笑)。文章中に出てくるダメ大学院生(今では立派な教師)に「どうだ?面白いだろう?」とこの話をしたところ、「人の美意識を押し付けられても面白くないよ。それこそ自己満足。」と返ってきた。どうやら彼も変わりない様だ。
 
 それと同時に、何故私が「ドロドロ愛憎劇」を嫌うかもお分かりいただけると思う。「美」があれば「醜」があるのであって、どちらも単体ではあり得ないのだ。

 そんなわけで、これが現時点での私の確立した「美」だ。無論誰かに押し付ける類いのものではない。ただ、これが単なる自己満足で終わらないように、出来るだけ多くの人に読んでもらいたい。そして多くの人に共感・共鳴・シンクロして欲しい。そうして初めてこの文章は“芸術”と呼べるものになるのだろう。
 

 興味を持たれた方、面白いと思われた方、共感・共鳴・シンクロした方はどうぞ“いいね”をしてください!よろしくお願いします。

2022年6月26日 
長谷川 漣

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