「文学的エッセイ」もしくは「純文学ブログ」

仕事

 先日、このブログに広告料が入る仕組みを友人に整えてもらった。それ以来、毎日の広告料がいくら入ったかを確かめるのが日課になっている。一日の平均は大体7~8円くらい。もちろん始めてまだひと月もたっていないので、こんなものだろうと思ってはいた。思ってはいたが、それでもやはり、その少なさには意気消沈する。これが1日千円を超える日が本当に来るのだろうか?それを考えると気が遠くなる。無論そのためにはより多くの人に読んでもらう必要があるわけで、ここ数日どうしたら読者が増えるのかと、いろいろ試行錯誤していたのだが・・・。

 何か有効な方法はないかと、わらにすがるわけではないが『両学長のブログ』を見てみた。すると両学長はこう述べている。

「サイトに、文章に魂を込めなさい!」

と。自分が本当に好きなこと、興味のあることなら魂を込めた文章が書けると。そうすれば自ずと内容が面白くなっていくと。そして、自分が好きなことと市場のニーズが重なり合う部分が必ずあると。それが見つけられれば、サイトには自然と人が集まってくる。いわゆる小手先のテクニックは必要ない。自分で考える力を養っていくこと、大事なのは本質だと。

 

 それを見て私は今1度このブログを振り返ってみた。自分が好きなものは解っている。私は【人間】と【人間】が2人以上集まって生まれる【ドラマ】が好きだ。そこには笑いがあり、悲しみがあり、優しさがあり、ほろ苦さがあり、時に憎しみがある。私はそれらが好きで、誰かと共有したいと思う。そんな思いからこのブログは始まっている。私がこのブログを「文学的エッセイ」もしくは「純文学ブログ」と称するゆえんだ。

 問題は私が感じた【想い】や【発見】を共有したいと思ってくれる人がいるかどうかだ。これが例えば、北関東のイワナの釣り場を知りたい!と言う人だったらある一定数は確実にいる。でも幸か不幸かこのブログはそういった【ニーズありき】で始まったものではない。私が面白いと思ったこと、美しいと思ったことを【発信ありき】で始まったものなのだ。

 そう、このブログはなくても生活に困らない類のものなのである。自分で言うのもなんだがその意味でこのブログは【芸術の端くれ】なのだ。ではその【芸術の端くれ】を必要としてくれる人がどれほどいるのか?もしくは文学っぽいブログを必要としてくれる人がどれほどいるのか?具体例で恐縮だが【はてなブログ】で書いていた時には、30人弱のフォロワーが付いてくれた。もちろん見ず知らずの人たちだ。こちらから先にフォローしたわけではない。

 そうだった。少なくとも30人は私の書く文章をフォローしてくれたのだ。私の文章を必要としてくれる人は少なくても確かにいる。そう思うとなんだか、広告料収入のことが小さなことに思えてきた。

 好きなことを表現して、それを受け止めてくれる人がいる。それで十分ではないか!広告料収入のために節を曲げてしまったら、それこそ本末転倒だ。このままのスタンスで行こう!私はそう思いを新たにした。

 そんなわけで、これまで通りこのブログを綴っていこうと再確認した次第です。

 広告料収入には遠いかもしれないけど、それでいいと思うのです。それに古からよく言うでしょう「急がば回れ!」と。

 最近読み始めてくださった方々

「初めまして!」

 以前から読んでくださっている方々

「いつも有難うございます。今後も長谷川漣をよろしくお願いします!」

ではまた!

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