オシャレ

友人

 今日、友人のYと近くのショッピングモールにあるユニクロとGUに行ってきた。おしゃれ上級者のYが言うには

「以前K君(Kは私とYの共通の友人で我々より10歳年下)を連れてきてGUで買い物させたのは、ちょっと悪かったなと後悔している。」

「何故?」

と私が聞くとYは

「俺のようなおしゃれ上級者だとユニクロだろうがGUだろうが、上手に着こなせる。でもK君にはノースフェイスとかシュプリームとか、そういういわゆるブランドが必要だったのかもしれない。」

私は

「おしゃれに精通した貴方だからこそ、ノーブランドの服でも、サイズとか、色とか、靴も含めた組み合わせで、おしゃれに着こなせるけど、おしゃれ初心者のK君にはそれこそブランドの力が必要だって言う事?あ~成程なぁ~。」と感心してしまった。ついで私は

「そういえば、俺もおしゃれなんてよくわからないけど、とにかくBEAMSの服着てれば良いと思っていた時期があったものなぁ~。今にして思えば、初心者だからこそのBEAMSだったんだ。ちょっと恥ずかしい。」とひとりごちた。

 

 そうだった。BEAMSやシップスの服を着ることがステイタスだった一時期が確かに私にもあった。今にして思えばそれはブランドの力を“お守り”としていたのだ。それが、ある時を境に私の中でおしゃれの基準が変わった。ある時と言うのは、恥ずかしながら初めて“オール”をした夜だ。“オール”とはオールナイトの略で、つまり簡単に言えば飲み明かすと言う事だ。

 初めて“オール”をした夜、それこそ3時4時頃になると街の一番の繁華街である水時計のあたりに、それまでとちょっと毛色の違う若者たちが現れ始める。彼らはそれまで居酒屋等でバイトしていて地元の若人だった。彼らが我々と最も異なっていたのはその服装だ。我々は仙台で一番の繁華街で飲むということで、皆気合を入れておしゃれをする。ところがその若者たちには気負いが一切ない。夏だったせいもあり、Tシャツにハーフパンツといたってカジュアルな恰好。そして、繁華街の中心でBMXなどに乗り始める。まるで「ここは自分たちの庭だよ。」と言わんばかりにこなれた様子で。それを見た私は単純に「カッコいいなあ~。」と思ってしまった。

 それ以来私の中でおしゃれの基準が変わった。要は

「カッコつけるってことは実はカッコ悪いんだ!」

もしくは

「渋谷だろうがニューヨークだろうが、自分ちの庭で気取る奴なんていねえよな。地球上全て自分の庭みたいなもんだったら・・・それってカッコいい!」と、そんな具合に。

 ショッピングモールを歩きながらこの話を東京で学生時代を送ったYにしてみると

「それは、下北沢で近くに住んでいるからってパジャマでコンビニに行くようなもんだよ。」と軽くいなされてしまった。でも、その口調には一定の評価も含まれていたように思う。

 そんなわけで、今日も私はデポで買った黒いハーフパンツとユニクロのTシャツと言ういでたちだ。おしゃれに限らず、大切なのは主体的に生きることだと思う。それはつまり、自分なりの価値基準を持つことに他ならない。そして自分なりの価値基準を持つためには、それなりの研鑽が必要なのだ。何がカッコいいかについて自分なりに考える時間。それが不可欠なのだ。そして、そうした時間を経た人と言うのは自ずと格好よく見える。

 と、ここまで書いてきて

「ああ、おしゃれについて物申せるようになるなんて俺も年を食ったなあ。」

と思った次第だ。

 そんなわけで、今日はおしゃれについて考えた一日でした。えっ、いつでもそんなカジュアルなのかって?いや、必要とあらば私だって髭はそるし、ネクタイだって締めますよ。ご安心を(笑)

そんなわけで、ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました