先日、NHKのsongsという音楽番組で井上陽水さんを2週連続で特集していた。それを見ていてすっかり井上陽水さんのファンになってしまった。斜に構えていて、コメントが人を食っていて、それでいて自嘲的で、本心は半ば韜晦されていて、多分相当にシャイな方なのだろう。だがそのシャイな井上さんが歌をうたう時は本気になる。本心をさらけ出す。だからこそ人の心を打つ。そこに惹かれる。「氷の世界」「傘がない」等々名曲をあげればきりがないが私の中では今「ありがとう」(奥田民生さんとの共作)がヘビーローテーションで流れている。以下に歌詞を記す。
ありがとう ありがとう 感謝しよう
微笑んでくれて どうも ありがとう
プレゼントくれて どうも ありがとう
楽しんでくれて どうも ありがとう
手を振ってくれて いつも ありがとう
気づかってくれて 本当に ありがとう
つながってくれて 毎度 ありがとう
強い人 弱い人
男の人 女の人
目立つ人 地味な人
みんな みんな ありがとう Yeah!
ありがとう ありがとう 感謝して
連れてってくれて たまに ありがとう
重なってくれて 実に ありがとう
弾き飛んでくれて 今日は ありがとう
付き合ってくれて どうも ありがとう
うまく誤魔化してくれて どうも ありがとう
笑い飛ばしてくれて どうも ありがとう
近い人 遠い人
やさしい人 つめたい人
好きな人 イヤな人
みんな みんな ありがとう yeah!
ありがとう ありがとう 感謝して
感謝しよう ありがとう
作詞:井上陽水・奥田民生
作曲:井上陽水・奥田民生
「ありがとう」と感謝するからには相応に自身の現状に満ち足りているはずだ。以前、漫画『会長 島耕作』(弘兼憲史著 講談社)の中で初芝電産の会長に上り詰めた島耕作が「この年になるとみんなに幸せになって欲しい。」と述べていたが、それは良く解る話だ。私生活はともかく公的には島耕作は間違いなくいわゆる「成功者」だ。それに対し私は家庭もなく、ましてや恋人すらいない、年収は同年代の平均を大きく下回る冴えない中年に過ぎない。それがどうしてこの曲に共感するのか?自分でもわからない。
ただ一つにはこのエッセイが関係しているのは確かだ。自らの思うところを自らの言葉で述べる。そしてそれを読んでくれる方、共感してくれる方がいる。多いときで月間に300以上のアクセス数がある。そこで承認欲求と自己実現がなされているのは確かだ。お金に結び付くかどうかは今後次第だがまあそれは良い。とにかく自分が好きなことをやってそれがある一定の評価を得ているのだ。こんなに有難いことはない。今ワードで打ち込んだのだが「ありがたい」を変換すると「有難い」になる。そう、めったにない事なのだ。職場で良くしてくれる上司がいる事も、タバコに誘ってくれる人がいる事も、飲みに誘ってくれる人がいる事も、みんなめったにない事なのだ。それを思うと「有難いな」と自然に感謝の念がわいてくる。そう「ありがとう」だ。幸せのカタチは人それぞれだが、どうやら私は私でそれなりに幸せであるらしい。島耕作ではありませんが、私にかかわりのある方々皆さんの幸せを願っております。ありがとう。
(平成最後になります。 長谷川 漣)
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