「愛だろ、愛っ」

雑記

 ひと昔前に「愛だろ、愛っ」というキャッチコピーが一世を風靡した。サントリーカクテルバーのCMで永瀬正敏さん演じる少し情けないキャラのセリフだ。これが私の学生時代に流行った。会話の中で割と深刻なボケをした友人に向かって(ここでは詳細は控えるが)「ツッコミって愛だろ、愛っ」といってフォローした友人がいた。また、この「愛だろ、愛っ」というフレーズは普段愛想の無い奴が言うほど効果的だった。今にして思えば皆、半ば照れ隠しで、半ば自嘲的なジョークだったのだ。自分の真心を韜晦させるためにこのフレーズを用いていた。

 私もまたこういう友人たちと同じだ。真剣なこと・大切なことを伝える際どうしても自分の本心を韜晦させてしまう。つまりジョークに紛らわせてしまうのだ。それが粋だともいえるし、そうでもしなけりゃ恥ずかしくてやってられないというのもある。この「サントリーカクテルバー」のキャッチコピー「愛だろ、愛っ」は、それ自体ジョークに紛らわせつつも、大切な本心を述べている気がする。

 一つ気づいたのが一見「愛のない男(なさそうに見える男ほど)ほど」このフレーズが似合う。いかにも愛情たっぷりの人物(例えば松岡修造)を使ってもこのCMはしっくりこない。何故か?

 ここで問題になるのは何をもって愛の対象とするかだ。先程一見「愛のない男」と書いたが本当にそうだろうか?目に見えるもの、触れられるもの・人(具体物)を愛の対象とするのか、それとも目では見えないもの、触れられないもの(抽象的な概念)を愛の対象とするのか?前者は難しい言葉を用いるなら「形而下」的である。これは解りやすい。良くも悪くも女性はおおよそこのタイプだ。(決して女性蔑視をしているのではない。)松岡修造もこのタイプだろう。ほんとのところは解らないが・・・彼は誰よりも上手に「松岡修造」を演じているだけかもしれない。後者は「形而上」的なものになる。それは理念であり、美学であり、もしくはイデアなどとも呼ばれる類ものだ。   
 

 このCMは一見、「形而下」的に見えるようでいて、その実、「形而上」的なものに光を当てていたのではないだろうか?だからこそヒットしたのだと思う。そうなのだ。良くも悪くも、男だったら目に見えるものとか、手で触れられるものとか、そんな類のものを追い求めるのでなくて、理想とか美学だとか、目には見えないもの、手では触れられないものを追い求めるべきでなはいだろうか?それこそ人生をかける価値があると思うのだ。(もっとも私は明日の糧を稼ぐので精いっぱいだが)(笑)

 とにかく「愛だろ、愛っ」なのだ!そして私にとってそれは良くも悪くも「形而上」的なものだ。ついでに言わせてもらうなら私のように感じる人が増えたら。よりbetterな社会になるのではないかと、僭越ながら思ったりもするのだ。

あたしは君のメロディーやその哲学や言葉全てを
守るためなら少しくらいする苦労は厭わないんです。
幸福なんです♪(椎名林檎 幸福論 1999年)

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