それぞれの

授業

 現在、河合 敦先生の『日本史は逆から学べ』を読んでいる。この本は日本史を現代から遡って理解していこう手法で書かれており、『おかげさまで好評を博している。』とある。また、『昔の先生は、縄文時代や弥生時代にやたらと時間を割き、最後は時間が足りなくなって明治時代で授業が終わるパターンが少なくなかった。』ともある。

 今日友人に「このコンセプトは実は俺が2005年当時に初めて言い出したものなんだ!」と言ったら「また、始まった。」と鼻で笑われてしまった。2005年4月~2006年3月まで私は当時勤務していた高校で「9.11から遡る世界史」という授業を行った。当時の関係者や生徒、また当時から私を知る友人たちはうなずいてくれると思う。

 そのコンセプトは『尻切れトンボで終わりがちな歴史の授業を現代から遡って行う事で、今につながる歴史を学ぶ』というものだった。退職後そのことを実績として転職サイトに掲載したところ、すこし後で三田紀房先生の漫画『ドラゴン桜』で『世界史は現代から遡れ』と、採り扱っていたのをよく覚えている。それが「歴史を遡って学ぶ」というコンセプトが初めて世に出たものだったと自分では理解している。    
 

 私のアイデアが何らかのルートで先生に伝わったのか?もしくは友人の言う通り全く関係なく、同時期に同じようなアイデアを両者が抱くに至ったのか定かではない。まあ、誰が言い出しっぺかはさておき、いい傾向だと思う。今現在を生きる我々現代人が縄文時代や弥生時代の土器にばかり詳しくなって肝心の明治以降の近現代史がわからないのでは元も子もない。確かに近現代史はまだ時の洗礼を得ていない為、「定説」が定まっていないと言ってしまえばそれまでだが、だとしてもノータッチと言うのはどうかと思う。  
 

 そのかいあってか2022年からは近現代の日本史と世界史を融合した『歴史総合』と言う必修科目が新設されるらしい。高校勤務当時、私は「どう考えてもこれはおかしい」と思い、先に述べたような授業を行ったわけだが、あれから10数年、私の行ったことも無駄ではなかったと思うと少しホッとする。

 当時、歴史の授業を行う上でもう一つ問題意識を持ったことがある。歴史を学ぶ上で「経済・金融の勉強が必要不可欠」という事だ。戦前の日本史で言えば、日本がアメリカとの無謀な戦争を始めるに至った理由として「なぜ国民の多くが軍部を支持するようになったのか?」を考える必要がある。その際には、当時の国民の置かれた経済状況を理解することが不可欠である。その為には、「戦後恐慌」、「取り付け騒ぎ」、「金融恐慌」、「金解禁」、「世界恐慌」、「昭和恐慌」、等々の用語を正しく理解する必要がある。でないとうわべだけの理解になってしまうからだ。物事は詳しく理解した方が記憶に定着する。言葉だけ暗記して理解したつもりになるのは甚だ無益だ。経済・金融の知識・具体的には「株式会社の仕組み」や「バブルの仕組み」もっと言うと「資本主義社会の何たるか」は中学生から学ぶ必要があるのではないだろうか?でないと歴史の授業が深い理解に至らない。と思った次第だ。こういった事も徐々に文部科学省に届くといいと思う。「お前なんかが何言っても無駄だよ。」と言う方もおられると思うが、私はそんなことはないと思う。ネット環境が整ったおかげで現代では誰もが発信者になりうる。それぞれの現場、持ち場で「こうしたらもっと良くなるんじゃないか?」とか、「こっちの方がずっと効果的だぞ!」とか、そういった小さな工夫の総体が社会をよりましなものに変えていくのではないだろうか?

 皆さんはどうですか?工夫していますか?そしてそれを発信していますか?一緒によりbeteerな社会を目指しませんか?

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