適温

人生に対する姿勢

 今日、窓を開けたまま運転していたら、宇多田ヒカルさんの楽曲『あなた』がスピーカーから流れてきた。赤信号で止まっていたら視線を感じたのでそちらを見てみると、お年を召した男性が、こっちを見てニコッと微笑みを浮かべていた。「天上天下どこにもない♪」どうやら宇多田さんの歌詞がお気に召したらしい。

 そういえば前にも、運転中の窓から東京事変の『群青日和』が流れていた時「新宿は豪雨♪」耳に入ったのか、通学途中の女子高生がこちらを見て笑っていた。

 なんだかいい気分だった。私が好きな楽曲をこの人たちも好意的に受け入れてくれているのだと思うと、嬉しくなった。クーラーを入れるほど暑くはないし、かといって窓を閉めたままでは蒸す。窓を開けると心地よい風が入ってくる。適温だ。今くらいの時期はこう言う事が良くある。私の好きな季節だ。誰かと何かを共有できるのは確かに楽しい事なのだ。

 私は以前『劇薬』という文章で「感情の共有とは劇薬だ。」と書いた。この劇薬がごくごく微量だけ風に舞って誰かの心に作用したのかもしれなない。顔も名前も知らない誰かの心に。

 ある人が言っているのだが、熱すぎたり、冷たすぎたり人の心は壊れたシャワーのようだと。気温にしろ、人との温度にしろ、適温とはこのくらいなんだろな。本当はもう少し近づいてみたい、言い換えると、すこし淋しいくらいが、もしかしたらちょうどいいのかも。そんなことを思いながら車を走らせた。

 さて、だから何だということのない、これは文章なのですが、お読みいただいた皆さんのお気に召せば幸いです。どうか、皆さまの体温が適温に保たれますように。

ではまた!

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