18年越しの問い

授業

 教師と言う仕事の何にやりがいを抱くかはその人次第だ。部活指導に生きがいを求める教師もいれば、生活指導にそれを求める教師もいる。(言い方は悪いが)生徒との依存関係を構築する事にそれを求める勘違い教師もいれば、授業にそれを求める教師もいる。私などは授業にやりがいを求める典型だった。それは非常に格好よく言い換えれば生徒との知的対話に楽しさを見出していたとも言える。就職したての頃はそこまで考えていなかったが時間がたつにつれてその思いは鮮明になっていった。

 その頃、東北の某県で同じく世界史の教員を務めていた大学時代の友人も同じだった。彼と私は二十代の終わりごろ、同じように東京の私学、それも(こう言う言い方が適切かは解らないが)いわゆる一流の私学の付属高校の求人を見つけてはそれに応募していた。
 
 ある時その友人が受けた超有名私立大学の付属高校の面接試験で
「ヨーロッパの都市には城壁があるのに日本に城壁のある都市はない。それは何故だと思うか?答えよ。」と問われたそうな。その話を聞いた当時の私は「???外敵の侵入に備えて?」くらいしか解答が思い浮かばなかった。無論そのような解答では合格など無理な話だ。友人もこの質問には面食らったそうな。その質問に答えられなかった友人もやはり不合格だった。その後ずっとこの問いの解答を考えていたが今日、母との会話中に何とはなしに答えが解った。以下、友人に送った文面を記したい。

 「理由はいくらでもある。ただその最たるものは、思うに経済の成熟度合いだ。都市に城壁が出来たという事はそれだけ人口の集中が進んだという事。都市に人口が集中するという事は、つまり第一次産業主体の社会から、第二次、第三次産業主体の社会へと産業の主体が変化したという事。すなわち経済活動が、社会がそれだけ成熟したという事だ。日本などはそういった成熟段階を経ずに、力づくの近代化がなされたという事か。結局その辺りにこの国が現在に至っても抱えている問題の原因がある。曰く

個人の未確立
情緒>理性
その他諸々。

 この問題に20代後半でそれなりの見解を示すには、やはり体系的に学問を収める事と、ある種の閃きが不可欠だと思われる。ああいった高校の教員になるとはそう言う事だ。精神を病んで薬漬けだったブランク期間が仮に無かったとしても俺には無理だったな。今なら講師くらいは務まるかも。まあそんなところか?どうだ?これをブログに書くが構わんよな?」 

 友人は学校名を伏せることを条件に快く承知してくれた。おかげでこの文章がある。友人に感謝したい。Nよありがとう!

 で、ここまで書いてきて結局、何が言いたいかと言うと私の中で1つの片がついたという事だ。このように文章の形で他者の目に触れるようにしたことで自分の中にあった思いに片をつける事が出来たという事。確かに一流高校に教師としてまたは講師として勤めたいという夢はあったが、それはもういい。今現在勤める学童には一流高校で教師を務めることに勝るとも劣らない楽しみがある。それはこれまでに綴ったブログを参照していただければ解ると思う。とにかく子供達の活き活きとした笑顔に勝るものは無いのだ。

そんなわけでみんなこれからもよろしくね!
早くマスクとれるといいね!

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