先日、フェイスブックに三浦知良選手の記事があったので読んだ。その記事の中で、カズさんはネイマールのことを話題にしていた。何でも、若かりし日のネイマールがPKを勝手に蹴ったことに監督が激怒し、監督とネイマールが大喧嘩になったと。結果、クビになったのは何と監督の方だったと。これを指してカズさんは「うまい奴が一番偉い。そういう世界に身を置いて来られて、僕は本当に良かった。」と。
「うまい奴が一番偉い。」自由競争だ。いわゆる日本的社会の在り様とはずいぶん異なる。でもカズさんは「それが良かった。」と。もしこれが、ネイマールと監督だけの問題ならば、正しいのは監督の方だったかもしれない。罰せられるべきはネイマールの方だったかもしれない。ただ、クラブ全体のためと考えた際「うまい奴が一番偉い。」としたクラブの決定は正しかったのだろう。
よく「社会全体の利益のため。」と言う言葉が使われるが、本当に社会全体の利益を考えたなら自由競争はいたってシンプルで、残酷ではあるが正しいルールなのだ。このネイマールと監督の例はそれをよく物語っているのではないか?
問題になるのは、【おおやけ】という概念をどこまで一個人が広げうるか?そしてそれを抱きうるか?にかかっているのだろう。【おおやけ】の概念にもレベルがある。サッカーで言ったら、チーム、クラブ、国、サッカー界全体とそのレベルは高くなっていく。どこまで自分事として考えうるか?それがその人の器なのかもしれない。
そして、【おおやけ】の概念を広げれば広げるほど、逆に言えば自分と言う存在から解放されるほど、自由競争と言う概念が重みを増してくるのではないか?
さて、何を言いたいかと言うと、小さな勝ち負けにこだわらずに、大きな目で見てみようよと。そうしたら自由競争の、勝負することの大切さが見えてくるのではないか?と言う事。そして一番初めにそれを変えてゆくべきは教育の現場なのだろうと・・・。
日本人的【みんな一緒】の居心地はいいかもしれない。でも、正々堂々競い合う事の緊張感って奴も得難いものだと。そんな風にも思うのだ。
そして、今まさにそうすべき時代なのではないかと・・・。
偉そうな事を申しました。m(__)m
ではまた!
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