幸せへの近道②

教育

 年のせい?と言うわけでもなかろうが、最近≪幸せ≫についてよく考える。幸せの定義は人それぞれだろうが、この年になって1つ分かったことがある。もしかすると自己完結的に聞こえるかもしれないが、要は『自分を好きになれるかどうか?』ではないだろうか?なぜこの答えに行きついたかと言うと、逆説的ではあるが、ほかの面でどんなに恵まれていようとも、自分のことを好きになれない人間が幸せになんかなれっこない。そう思ったからだ。

 そうだ、誰だって自分に自信を持ちたい。自分を好きになりたい。ではどうすれば自分を好きになれるのか?どうすれば自分を愛せるのか?私が思うに、そのためには≪鏡≫が必要だ。いや、文字通りの鏡ではない。実際の鏡を見てそれで自分を好きになれるのなら世話はない。そりゃ単なるナルシストだ(笑)。そうではなくて自己を映す存在としての≪鏡≫つまり≪他者の存在≫が不可欠なのだ。言い換えると他者から愛されてはじめて自分を好きになれるのではないか?そう思うようになって久しい。ではどうしたら他者から愛されるようになれるのか?

 もし、あなたに何かオンリーワンの才能でもあれば話は早い。北野武さんや大谷翔平選手のような唯一無二の才能でもあれば・・・。でもそんな人ちょっくらいない。何故ってオンリーワンは他にないからオンリーワンなわけだから・・・。

 では、我々凡人はどうしたらよいのか?何をもって他者から愛されるに値する存在足りうるのか?そこでやはり思い浮かぶのは親であり保護者の存在だ。もしあなたが誰かの親であり保護者であるのなら、子供をもしくは被保護者を愛するべきだ。特に母親は。それも掛け値なしで。私は父にも母にも愛してもらった。特に母の愛情は十分すぎるほどで、それは時に彼女の自己本位的な側面がないでもなかった。それに比べ父のそれは常に私と言う存在を自分とは別の人格として尊重してくれたように思う。また、母方の祖父からは、それこそ掛け値なしの愛情を注いでもらった。あれこそ無償の愛だったと今にして思う。よく「漣君は大器晩成だからな!」とかわいがってもらったのを昨日のことのように覚えている。今の私?があるのはまさしくこのおじいちゃんのおかげだ。

 悲しいかなしかし、おじいちゃんにしろ、父にしろ、母にしろ、いつまでも生きていてはくれない。我々には我々をオンリーワンとして愛してくれる存在が新たに必要になってくる。大谷翔平選手のような、みんなにとってのオンリーワンでなくともよい。でも少なくとも誰かにとってのオンリーワンでありたい。そう思うのは自然な事だろう。そのようにして、我々はその片割れを求めるのかもしれない。そのうちに子供ができ、今度は我々が親となり、彼、彼女らを愛し、そうして年老いて・・・。そんなことを繰り返して人類は今に至ったのではないか?とそんなことを考えた。
 
 で、結論として何が言いたいかと言うと、もしあなたが人の親もしくは保護者であるのなら子供たちを、被保護者を愛せと!そして愛情ってコミュニケーションの時間と密度だよと!もっと言うなら一緒にいてやることだよと!自分が人の親になった事もないのに偉く生意気なことを申しました。ごめんなさい。でも、言っていることはおそらく間違っていないと思うのです。そしてもっと言ってしまうと私の愛は多分、多分大きいのです。それこそモハメド・アリの如く・・・(笑)。最後は誇大妄想的なことを述べましたが、お子様がおありの皆さん、保護者である皆さんは子供を被保護者を精一杯愛してください!それがあなたの、そしてお子さんや被保護者たちの幸せへの近道です。ではまた!

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