島耕作に思う

人生に対する姿勢

 弘兼憲史先生の代表作に『島耕作シリーズ』がある。私も課長・部長はもちろんの事、社長くらいまでは全部読んだ。(現在は相談役になっている、ヤングや係長や学生島耕作もある)今回はこの島耕作について考えてみた。
 

 シリーズの最初の『課長島耕作』で描かれた島耕作は基本一匹オオカミだ。仕事は好きだが、派閥争いや、出生のために節を曲げるのは大嫌い、そんな美学を持っている。私も正規ではないもののいわゆるサラリーマンをやってみてわかったのだが、サラリーマンであれば、派閥にも属すし、上司の顔色をうかがいもする。上司のおぼえが悪い同僚とは距離を置きたいものだし、逆に上司のおぼえが良い同僚とは仲良くしたいもので・・・。

 どれもこれも、いわゆる美学と相反するものだ。そのサラリーマン社会で美学を堅持しようとすれば必然的に一匹オオカミにならざるを得ない。だからこそ島耕作がカッコよかったのだ。そんな島耕作にもただ一人尊敬する人がいた。中澤部長だ。中澤部長もやはり島と同じ一匹オオカミで二人は気が合った。その中澤部長が当時の社長から一本釣りで次の社長へと引き上げられるときに「これからは自分(中澤)にも片腕となってくれる人物が必要だ」という事で島に白羽の矢が立つ。そこから島のサクセスストーリーが始まるわけだが・・・。

 自身の出世や利益よりも会社の利益を優先してきた一匹オオカミ同士の中澤部長と島が会社のトップに立つことで、多くの読者はグッと留飲を下げたのだと思う。社内政治や派閥争い、そういったもののくだらなさを嫌っていうほどわかっていても、そこから抜け出せない多数の人々の共感を得たのだと思う。だから私も『課長島耕作』の最後のシーンで涙したし、その後のシリーズも読もうという気になった。

 ところが、『社長・会長島耕作』の後になって描かれた『ヤング島耕作』や『係長島耕作』では島耕作のキャラが『課長島耕作』と異なっている。『課長』では一匹オオカミだった島耕作が『ヤング』や『係長』ではいかにも周囲への気遣いを怠らない、いわゆる優秀な若手サラリーマン風に描かれているのだ。「あれっ島耕作ってこんなキャラだったっけ?」と思わず読み返してしまった。『ヤング』や『係長』を全部読んだわけではないので異論もあるかもしれない。でも弘兼憲史先生には本当に申し訳ないが正直がっかりだった。

 時代が変われば求められるヒーロー像も違ってくるという事だろうか。時間を遡る形でキャラ設定の変わってしまった島耕作に対して、時代が変わろうが、状況が変わろうが、これっぽっちもブレなかった人物を私は一人知っている。忌野清志郎さんだ。ある雑誌で忌野清志郎さんのコメントがいかにぶれないかという特集を組んでいたことがある。確かに忌野清志郎さんは言っていることが全くぶれていない。原発に対して、政治に対して、20年から30年昔の記事を見ても言っていることが全然変わっていない。凄い人だったのだなと今にして思う。その忌野清志郎さんが毛嫌いしていたのがサラリーマンだったというのだから分かる気がする。「でも、忌野さん誰もがあなたの様になれるわけでもないんだよ」と言いたくなる気もするが、忌野さんには忌野さんなりの言い分がおありだろう。あちらでどう思っておられるか?難しいところだ・・・。

 母にこの話をしてみたところ「そもそも一匹オオカミじゃあ課長にまでなれないよ。」との事。なるほどそういうものか・・・。さてここまで書いてきて結局のところ何を言いたいかと言うと・・・何を言いたいんだかよく解らなくなってしまった(笑)。ただ、好きだったんだけどなあ課長時代の島耕作。

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